麻耶雄嵩の名作「鴉」 感想と考察ともう一つの真相など【ネタバレあり】

感想
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1997年9月に幻冬舎から発行された、麻耶雄嵩(まやゆたか)さんの小説です。

本作は1998年度「本格ミステリベスト10」で第1位に選ばれています。

麻耶雄嵩さんと言えば、2017年に嵐の相葉雅紀さん主演のテレビドラマ「貴族探偵」の原作を書いた人であると同時に、個人的には様々な「問題作」を世に送り出している人という印象です。
本作はどのような「問題作」なのかまとめてみました。

※今後出てくる作品のページ数は「幻冬舎ノベルス」のページ数です。

あらすじ

弟・襾鈴(あべる)の失踪と死の謎を追って、地図にない異郷の村に潜入した兄・珂允(かいん)。襲いかかる鴉の大群。四つの祭りと薪能の儀式。蔵の奥の人形。錬金術。嫉妬と憎悪と偽善。五行思想。足跡なき殺害現場。連続殺人。人殺しの手に現れるという奇妙な痣。盲点を衝く大トリック。村を支配する大鏡の正体。ふたたび襲う鴉。そして、メルカトル鮎が導く、逆転と驚愕の大結末。「’98本格ミステリ・ベスト10」(東京創元社)第1位に輝く神話的最高傑作!

※このあらすじは幻冬舎ノベルスの背表紙から引用しています。

「神話的最高傑作!」は非常に良い煽り文句ですね。

このあらすじは非常に親切だと思います。
と言うのも、このあらすじを読んで「ぞくぞくする人」はこの本を読むべきですし、何も感じない人は…この本を読むには少し頑張る必要があることが分かるからです。

感想

とても面白いです!

本作の事件は大鏡が現人神として村を支配している異郷の村の世界観に基づいた事件が起こるため、事件そのものを理解するために熟読する必要があるのですが、熟読すればするほど作中の世界に引き込まれます。

世界観に存分に引き込まれた読者を最終的に待ち受けるのは「世界の崩壊」
麻耶雄嵩さんの高い文章力により世界に入り込んでいた私にとって、読み終わってしばらくしてもある種の禍々しさを感じる作品でした。

「謎を解きたい!」と思って読む読者にとっては…「メルカトル鮎」の立ち位置を理解する必要があります。
その為には麻耶雄嵩さんのデビュー作「翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件」から先に読むことをお勧めします。

本作に直接関係ないことですが、幻冬舎ノベルスは誤植が多いです。あまり書くとネタバレにも繋がりかねないので1点だけ。

P141:それに東の長である芹槻と密約したことで、幾分自由に振る舞える気分になったこともある。
→芹槻は「西の長」です。

「何か謎が隠されているのか!?」とても考えてしまいましたが、単なる誤植でがっかりしました…

ある意味で特殊設定ミステリ、と呼んでもいい本作。
幕引きに関して色々と議論があると思いますが、普通のミステリでは物足りなくなっている方にはオススメの傑作です!

総評

読んでよかった度:☆☆☆☆
また読みたい度:☆☆☆☆
熟読するとより作品を楽しめる度:☆☆☆☆☆

※以下ネタバレがあります!!

良かった点

橘花について

P331で櫻花に殺されたはずの橘花が、わずか4ページ後のP335に元気な姿で再登場します!!
これは初めて読んだ時は本当に驚かされました…

どういうことだと思って橘花パートと櫻花パートをよく読み返してみると、ヒントは随所に出てきます。

例えば、
橘花パート:一昨年死んだ父さんの代わりに(P34)
櫻花パート:父親がいなくなって五年(P41)
と書かれており、父親がいなくなる時期にずれがあることが分かります。
(この描写だけだと再婚という可能性もありますが…

兄弟であるかどうかはともかく「時系列がずれている」ことは
橘花パート:澄んだ空(P327)
櫻花パート:曇り空(P329)
という描写からはっきりします。

また、櫻花が弟を連れてきた釣りの穴場は「道から遠く離れた森の川辺」ですが、橘花が釣りを楽しんでいるのは「中州」であることから、「橘花の兄は作中に出てくる櫻花ではない」ということも分かります。

村の他の子供達と話している描写から橘花が村の中の住人であることは分かります。
では、櫻花はどこにいるかというと「村の外の世界」であることも分かります。
ヒントは
筑前煮は母の十八番だった(P68)
→鶏肉を使う筑前煮が「十八番」である場合、鶏を大量に飼っているかある程度豊かでないと難しいはずです。
汚れたズボンのまま無邪気に訊ねる弟の姿(P68)
→村人は「ズボン」を穿いていません。
寿司(P292)
→橘花の誕生日なので特別に外の世界から取り寄せたor川魚の可能性もありますが…
といったところでしょうか。

また、櫻花は橘花を川に転がり落とした後、「やがてその蝶がみえなくなると…」と中原中也の詩を思い出しますが、学校がない&本がないと思われる村の中で、詩を思い出すことは不可能でしょう。

つまり、「橘花の兄は作中に出てくる櫻花ではない」「櫻花が居る場所は村の中ではない」という2点は賢明なる読者諸君であれば分かった、ということになります。(私は分かりませんでしたが…)

村人と外人

村人は「赤色」が認識できないというのが作中に仕掛けられたトリックでしたが、これに関しては色に関する様々な描写が多いことを違和感として捉えていれば、読み取れると思います。(私は、他の作品でこのトリックが使われているので注意深く読んでしまいました)

違和感は色々ありますが、決定的な描写は野長瀬の家の天井です。
・橘視点「緑色の天井」(P134)
・珂允視点「天井が赤」(P216)

またこのトリックの種明かしとして「脱出経路が紅葉の道として堂々と登場するシーン(P334)」は映像が目に浮かぶようでとても印象的です。

少し思ったこと

メルカトル鮎について

私は麻耶雄嵩さんの本を本作から読み始めたので、
・神出鬼没
・村の地理に詳しい
・村で起こった出来事をほぼリアルタイムに全て知っている
・村のどこに潜伏しているのか分からない
という理由から、メルカトル鮎=大鏡様だと信じて疑いませんでした。

持統院が「貴様は誰だ!」(P358)と言っているので、その可能性は霧散してしまいました…
メルカトル鮎の立ち位置を本作の中でも教えておいて欲しかったです…

珂允と襾鈴

メルカトル鮎によれば、珂允(櫻花)=襾鈴=庚でした。

しかし、いくら顔つきが変わったからと言って、全く気付かないということがあり得るでしょうか?外人だから、ということでしたが、さすがに無理があると思います…

おそらく二重人格のようなもので、性格も顔つきを一変している思うのですが、西の千年家の住人ならともなく、近衛になり損ねたことでものすごく恨んでいるであろう遠臣や、近衛やかなりの時間を共有したであろう持統院が襾鈴(庚)の顔を忘れるはずがない。

…と思っていましたが、「半年で劇的に変わった!」というようなネットの画像を見ていると、その可能性もあるのかな、と思ってきました。

また、モンゴロイドである私から見るとコーカソイド・ネグロイドの方々の見分けは確かに難しく感じるので、村人から見た「外人」はそれに似た感覚なのかな…とも思わなくもないです。(襾鈴(庚)も村人も日本語を操っているのでモンゴロイドでしょうが…)

櫻花

珂允=櫻花であるという構図だとすると、珂允の母が珂允のことを「櫻花」ではなく「珂允」と呼んでいる点(P19)が疑問でした。

これについても悩みました…が、珂允=櫻花という解釈は可能です。
メルカトル鮎を信じるのであれば、高校生の襾鈴は存在しませんが、上記の回想の中では高校生の襾鈴が存在しています。つまり、信頼できない語り手による回想シーンの中ですので、母が「珂允」と呼んでいることは不合理ではない、ということになります。

そもそも、櫻花は何故自分の事を「珂允」と自称しているのでしょうか?
これについては、弟を殺してしまった自分をカインとアベルに例えている中二的発想なのでしょう。

考察の前の整理

考察の前に、少し整理をします。

カインとアベル

本作の主人公珂允と襾鈴ですが、これは旧約聖書『創世記』第4章に登場する兄弟がモチーフでしょう。カインとアベルの話を詳しく知らなかったので、Wikipediaから引用しました。

カインとアベルは、アダムとイヴがエデンの園を追われた(失楽園)後に生まれた兄弟である。カインは農耕を行い、アベルは羊を放牧するようになった。
ある日2人は各々の収穫物をヤハウェに捧げる。カインは収穫物を、アベルは肥えた羊の初子を捧げたが、ヤハウェはアベルの供物に目を留めカインの供物は目を留めなかった。これを恨んだカインはその後、野原にアベルを誘い殺害する。その後、ヤハウェにアベルの行方を問われたカインは「知りません。私は弟の番人なのですか?」と答えた。これが人間のついた最初の嘘としている。しかし、大地に流されたアベルの血はヤハウェに向かって彼の死を訴えた。カインはこの罪により、エデンの東にあるノド(נוֹד、「流離い」の意)の地に追放されたという。

この話がモチーフだとすると、珂允は襾鈴を殺しノドの地に追放された、ということになります。
珂允が辿り着いた埜戸は決して楽園ではなかった、ということでしょうか。

埜戸(のど)について

大鏡が支配する村:埜戸(のど)について少し整理します。

村の規模

村の人口は約千人です。
これは、
・千本家くらいの格の家である小長は西で六戸(東を合わせると優に十戸は超える)
・小長は21戸
というP26の描写から「21×10=210」であるため、戸数は210戸強であると言えます。

1戸に何人いるかが問題ですが、千本家を参考に1戸4人と考えると「210戸×4人」であるため、総人口は約千人ということになります。

ちなみに女子供以外の村人の全てが集まる薪能に関する描写で「舞台の前に4、500人の村人がすし詰め(P79)」とあり、女性が半分近く子供もかなりの数いることを考えると、千人を超えている可能性もあります。

歴史

事件を整理するためにも、村の歴史を振り返ってみましょう(珂允が村に辿り着いた時を0年として書いています)。

・64年前 ケンカにより殺人が起こってします(P107)
・42年前 龍樹頼家の父親(南の長)が鬼子のレッテルを貼られ、一族皆滅ぼされる(P254)
・5年前 乙骨が村に来る(P29)
・1~2年前 野長瀬が大鏡に従わない態度を隠そうともしなくなる(P119)
・1年前 襾鈴が村に来る。最初の一月は藤ノ宮の家に逗留(P166)
・9ヵ月前 襾鈴は野長瀬のところに何度も足を運んでいる(P120)
・7ヵ月前 松虫は鬼子と判明する(P296)
・6ヵ月前 野長瀬死亡(P36)。野長瀬死亡の前日夕刻、通臣が野長瀬の家に来ていた。日の入り後には雪が降りやんでいたが、朝庚が野長瀬の死体を発見した際足跡はなかった(P121)
・野長瀬自殺の10日後 襾鈴が村を去った(P120)
・6ヵ月前 鴉が発生(P7)
・4~5ヵ月前 蝉子と通臣の結婚が予定される(P152)
・3ヵ月前 乙骨が人形制作開始。(珂允が村に来て4日目に人形完成)
・3ヵ月前 5歳の男の子が鴉の犠牲となった(P23)

村で殺人事件はあまり起きないようですが、死亡する人間は一定数いることが分かります。

納得がいかない点に関する考察

本作に納得のいかない点があります。

犯行場所

メルカトル鮎の推理によると持統院単独犯行及び通臣の殺害現場は大鏡の殿がメルカトル鮎が導く解決でした。
しかしながらそれでは納得がいかない点があります。

それは「死体の移動」です。

大鏡の殿が事件現場だとすると、鷺ヶ池まで死体を移動させたことになります。
山道の入り口から建物までは上りで約20分(P56)、宮の山道の入り口から鷺ヶ池の距離が特定できませんが、少なくとも10分以上はかかることが予想されます。
つまり、遠臣を殺した持統院は宮から鷺ヶ池まで、遠臣の身体をかついで約30分歩いたことになります。

遠臣は「大柄で自信に溢れた威勢のいい青年だ。腕っぷしも強そう」(P70)
持統院は「思ったより背が高いな…」(P164)
と珂允に評されています。
これらのことから、遠臣と持統院の背は同じくらい。体重は遠臣の方が重いと言えると思います。

とすると「真っ暗な山道を30分以上、自分より体重が重い物を担いで移動する」という行為を持統院一人で行った、と考えるのは少し無理があると思います。(宮と里もそれなりにつながりがある以上、西の長の孫(遠臣)という村全体にとっての重要人物の死体遺棄を近衛に手伝ってもらったとも考えにくいです)

推理小説に登場する犯人は大抵体力お化けが多いですが、「持統院隠れマッチョ説」がない限り、単独犯は不可能であると思われます。

また、死体発見現場は鷺ヶ池の林の入り口(P135)。池というぐらいですから、川と流れが繋がっていないと思われます。
また、大鏡の殿の下は川が流れていますので、途中まで川で流したことも考えましたが、大鏡の宮周辺は「九十九折りの渓流」(P347)です。途中で引っかかったら大鏡が疑われてしまいますので、周辺事情に詳しい持統院が川から流すとは思いません。
さらに、川の流れに関してですが、珂允が村に来てから雨は降っていませんし、遠臣の葬儀に関し「葬儀の日には湿っぽい雨が一日中降り続いていた。雨は止むことなく、乾燥気味だった大地に潤いを与え続けいる」(P107-P108)と書かれていることから、ここ最近雨は降っていなかった=川の流れは急ではなかった、ということも分かります。

通臣は何を見た?

メルカトル鮎の解説によれば、

鴉に襲われパニックになったとき、翼賛会の長である通臣は大鏡を守るために御簾に近寄った。そこで知ったのです。絶対の生き神である大鏡が文字どおり木偶であることを。

と書かれています。しかしながら、事件の描写では

持統院は身軽な動きで即座に本殿の扉を閉めるその前を警護の近衛と翼賛会の連中が盾となり守り固める(P85)

となっています。
持統院が本殿の扉を閉めた後、翼賛会の長である通臣が扉の前を守っています。これでは通臣は御簾に近寄ることが出来ません!つまり、通臣は大鏡が人形であることに気付くことは出来ずないため、持統院が通臣を殺す必要もありません!!(ちなみに御簾ですが、珂允と持統院が長々と御簾の前で演説しても御簾の中にいるメルカトル鮎を視認できなかったことから、御簾の目は相当細かいことが分かります)
また、このタイミングで通臣が御簾の中を見たのだとすると、翼賛会の連中も全員始末されていなければいけないはずです。

このことにより、メルカトル鮎の推理の前提が崩れます。
では何故通臣は殺されたのでしょうか?

この事件の真相

ずばり、通臣は東の長の一族の誰かに殺されました。
動機は「南の作業の作業頭である通臣を殺すことで、南の開発を東にとって有利に運ぶため」です。

東がこのような凶行に走った一因には「鴉のせいで収穫が落ちている」(P238)ことも原因であると思われます。

村人が犯人である場合、越えなければいけない条件がいくつかあると思いますのでまとめてみました。

村では人を殺せば手に痣が出てしまいます。
しかし、鬼子という忌まわしき存在に対する大鏡という名の処罰であれば手に痣は出ません(P255)。

通臣は鬼子である松虫の元婚約者です。鬼子が退治された後も、鬼子の妹と結婚しようとしています。
千本家が襲撃された時、使用人も殺されていることを考えると「鬼子の元婚約者」「鬼子の妹の婚約者」という存在は十分に処罰の対象であったと考えられます。

通臣殺害現場

通臣は本寮で殺されました。
本寮の大鏡の木彫りの紋が裏返しになっていた(P277)理由は、下手人が大鏡に通臣を殺すところを見せたくなかったからです。

通臣を殺した後、下手人達はアリバイ工作のため、今垣の家の厩番に通臣の姿を目撃させます。(P186)
この時使用したのは、通臣の人形です。
村の風習では、近衛になった息子の形見として一年のあいだ代わり身として人形を作ることになっています(P235)。近衛入りが確実視されていた通臣ならば、人形があっても不思議ではありません。

大鏡の殿の扉の紋様に血が付いていたことも証拠の一つとなっています。
ほんの一、二滴、よく凝らさないと判別しくいが確かに血だ」(P348)と書かれていますが、この時点で通臣殺害から約2週間経過しています。
乾ききった血痕の数え方は「滴」でしょうか…?

若しくは、人形の松虫と会話ができる珂允ですから「見えない血痕が見えた」というのは…こじつけが過ぎますね。

しかしながら、通臣が複数人により本寮で殺害されたと考えれば、持統院隠れマッチョ説など不自然な死体の移動については説明ができます。

どうしても分からない点

本作にどうしても分からない点があります。

啄雅は何を見た?

メルカトル鮎が示す犯人は持統院なので、啄雅は乙骨の家の近くで持統院を見たことになります。

しかしながら、啄雅は持統院の顔を知らないはずです

そもそも大鏡の宮は余人には立入禁止であり、いくら情報網が広いとはいえただの子供である啄雅が宮に入れるわけがありません。また、面会したこともないはずです。(可能性があるとすれば、十歳の祝いの時(P187)ですが…)

珂允が幾度も会っているので忘れがちですが、持統院が皆の前に姿を現すこと自体が稀です。
唯一といっていい機会の水祭の薪能の時ですが「大鏡の境内には女子供は立ち入ることは出来ない」「女子供は家で祝わなければならない」(P79)とあります。
(村にスマホ・デジカメはありませんので「写真で見た」も不可能です)

また、年に四回ある大きな祭りでは
「春と夏の境に行なわれる木祭には、木の神、山の神の姿をした近衛様とともに、東の者がみな(中略)集まる」(P273)。
とあり、それと同規模の火祭にも近衛しか出席しないと考えられます。

もし持統院が乙骨殺害時、宮の衣装を着ていれば持統院並びに宮を怪しむでしょうが、返り血等も考慮し、目立たない汚れてもいい服装に着替えて殺人を行ったはずです。

啄雅は「大鏡様の紋に手を触れることすら畏れ多い」(P277)という認識の中に生きているため、外人の珂允と違い、宮の建物内に侵入することは精神的には不可能だと思われます。
宮に入り込み、持統院を見たからこそ殺されたのでしょうが、どうも納得がいきません。

千本頭儀が「珂允君。君はいつからそんな眼をしているんだい」「いい眼をしていると思ってね」(P11)という表現が何を示しているのか想像もつきません。
知っている方がいましたら、ぜひとも教えてください。

最後に

珂允は信頼できない語り手であったので、妻であった茅子との思い出など、どこまでが事実なのか分かりません。
事実だとすると、プロポーズしてすぐいないはずの弟(襾鈴)を紹介したり、挙式一カ月前に「弟が好きなんじゃないか」と聞いたり(P44)、なかなか怪しげな行動を繰り返しています。
茅子さん、よく結婚しましたね…

また、珂允が村に入ってから何日経っているか数えたのですが、どうしても日数が合わない部分があります。
「信じてもらえないかもしれませんが、これは四日前に鴉に襲われて、」という珂允の言葉の後(P315)にメルカトル鮎が発言しているのですが「襲われて、」という表現は、珂允が話しているのを遮ってメルカトル鮎が発言したということなのでしょう
メルカトル鮎は珂允が日数を数えられない=信頼できない語り手である、というヒントを出していたのでしょうか?

本作のメルカトル鮎が「銘探偵」だったのか「名探偵」だったのか、はたまた「復讐者」であったのか…
麻耶雄嵩さんの世界に浸れる名作だったと思います。