出来事を時系列に並べ数々の謎を考察するドグラ・マグラ(日本探偵小説界の三大奇書)

感想
スポンサーリンク

構想・執筆に10年以上の歳月をかけて、1935年1月に松柏館書店から刊行された、夢野久作(ゆめのきゅうさく)さんの小説です。
自費出版だった、という説もあります)

小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、中井英夫『虚無への供物』とともに、日本探偵小説史上の「三大奇書」であり三大アンチミステリーの一つと言われています。(竹本健治『匣の中の失楽』を加えて「四大奇書」と呼ばれる場合もあるようです)

本作は
・日本一幻魔怪奇の本格探偵小説
・幻怪、妖麗、グロテスク、エロテイシズムの極

といったような紹介をされることが多いですが、個人的に最も印象に残っている作品紹介は
本書を読破した者は、必ず一度は精神に異常を来たす
です。

しかしながらそれは本当にドグラ・マグラを表現する言葉なのでしょうか。

「奇書」と呼ばれてはいるものの、探偵小説です。
読んでみると、確かにグロテスクな表現や難しい表現がある場面もありますが、探偵小説的見解からすると、それらは真実を覆い隠すためミスリードであると言えると思います。

「日本探偵小説界の最高峰」とも呼ばれているドグラ・マグラ。
どちらの評価が正しいのか、感想なども含めて書いてみました。


※今後出てくる作品のページ数は「三一書房」のページ数です。

※現代の社会通念や今日の人権意識に照らして不当・不適切な表現や語句、差別的表現があります。執筆当時の時代的背景等を考慮し原文のまま書いています。不快に思われる方がいましたら、ここで画面を閉じてください。

前提

実は本作「全ては妄想だった」という夢オチ的な解釈も可能です。
しかし、それでは探偵小説として面白くありません!

というわけで、ここからのあらすじや考察は「小説の中で起こった出来事は何らかの形(加害者の偽証を含む)で本当に起こった出来事である」という考えの元に書かれています。

簡単なあらすじ(時系列順)

まずは物語の全体像を掴むため、簡単なあらすじを時系列でまとめてみました。

過去編

天宝十四年(755)年:唐の人である呉青秀黛夫人を殺害し遺体を写生した絵巻物を作成(P287)
至徳元年(756)年:呉青秀、黛の双子の妹の芬と暮らし始める。(その後、二人は日本へ。呉青秀は航海中に行方不明。呉青秀の子を宿した芬が日本に辿り着いた)(P294)
延宝二年(1674)年:呉青秀の書いた絵巻物を持った呉六美が入水未遂(P234)

因縁開始編

明治三十(1897)年:正木・若林大学入学(P62)
明治四十(1907)年:正木が卒業論文として『胎児の夢』を大学に提出(P64)。(卒業後、正木は海外へ研究へ。若林は大学へ残る)
同年十一月二十二日:呉一郎誕生(P335)。母は呉千世子父は不明。
大正六(1917)年:海外で研究を行っていた正木帰国(P338)。墺国理学博士・独国哲学博士・仏国文学博士を取得(P79)。帰国後、面黒楼万児と名乗り『キチガイ地獄外道祭文』を謳いながら全国行脚(P79~)
大正十三(1924)年三月二十六日:正木が『脳髄論』を書きあげ若林教授を訪問(P70)
大正十四(1925)年二月:『脳髄論』の内容に感動した斎藤教授(正木・若林の恩師)が正木を自分の代わりに教授に推薦(P71)

事件編

大正十三年三月:呉一郎の母である呉千世子が何者かに殺害される(P195)
大正十四年(1925)十月十九日:斎藤教授変死(P72)
大正十五年(1926)二月:正木が九州大学教授に(P22)
同年三月初旬:正木教授が九州大学内に私費で「狂人開放治療場」着工(P98)
同年四月二十五日:呉一郎とその従妹である呉モヨ子の結婚式前日、呉家に伝わる絵巻物を何者かが呉一郎に見せる(P326)
同年四月二十六日:「姪の浜花嫁殺し事件」発生(P222)。呉モヨ子死亡。警察は呉モヨ子の遺体を写生していた呉一郎を逮捕。呉一郎は記憶喪失状態。
同年日:若林教授、死亡したと思われていた呉モヨ子の生存確認。その後死を偽装し精神病院に入院させる(P174-P186)
同年七月:「狂人開放治療場」完成(P22)
同年七月以後:地球表面は狂人の一大解放治療場について正木教授が新聞記者に話す(P102)
同年七月以後:絶対探偵小説 脳髄は物を考える処に非ずについて正木教授が新聞記者に話す(新聞掲載時期は不明)(P102)
同年十月十九日:「狂人開放治療場」において、呉一郎が五名の男女を殺傷(P370)
同日:正木教授空前絶後の遺言書を書く(P146)
同年十月二十日:正木教授自殺(P22)
同日:呉モヨ子の母である呉八代子宅より発火。母屋及び如月寺が延焼。放火犯は火事により死亡した呉八代子と見られている(P374)
同年十月以後:「若い患者」が「ドグラ・マグラ」を書きあげる(P51)
同年十一月二十日:「私」と若林教授が会話をしている(P22)。「私」が閉じ込められていた独房の隣の独房には、「私」を「お兄様」と呼ぶ少女がいる。

あらすじのまとめと本作の謎

上記を簡単にまとめると、こんなあらすじになります。

大正15年頃、九州帝国大学医学部精神病科の独房に閉じ込められた、記憶喪失中の若き精神病患者の物語であり、「私」という一人称で語られていく。彼は過去に発生した複数の事件と何らかの関わりを有しており、物語が進むにつれて、謎に包まれた一連の事件の真犯人・動機・犯行手口などが次第に明かされていく。

あらすじにも様々な謎が出てきました。
パッと目につく謎は下記のとおりです。(その他にも大小様々な謎がありますが…)

これらの謎に対して考察していきます。

 

閑話休題

ドグラ・マグラを何としても読み切りたいと思っている方にオススメなのは「まんがで読破 ドグラ・マグラ」です。
一旦、まんがを読んで話の筋を頭に入れてからドグラ・マグラを読むと内容が理解しやすいと思います。

次に紹介するのは映画「ドグラ・マグラ」の予告編です。
ここだけ切り取ると、ドグラ・マグラはとても恐ろしい話に思えてきます…

登場人物紹介及び用語解説

あらすじの中にも不可思議な用語(『キチガイ地獄外道祭文』などなど)が大量に出てきました。
まずは登場人物の簡単な紹介、そして用語の紹介をまとめてみたいと思います。

登場人物紹介(仮)

呉一郎:呉モヨ子及び精神病院入院患者5名を殺害した犯人。「私」と同一人物?
正木敬之:九州帝国大学精神病科教授。『キチガイ地獄外道祭文』『胎児の夢』『脳髄論』等の制作者。「私」の治療に携わりながら「私」が目覚める1ヵ月前に自殺した?
若林鏡太郎:九州帝国大学法医学教授。「私」の記憶が戻るように色々と取り計らってくれている?

登場人物紹介に「?」が入っています。全ての考察が終了したら、完全な登場人物像を結ぶことが出来る…はずです。

用語解説

キチガイ地獄外道祭文 一名、狂人の暗黒時代(P79~)

「正木先生が日本内地を遍歴される片手間に、到る処の大道で、人を集めて配布された『キチガイ地獄外道祭文』と題しまする阿呆陀羅経の歌で、現代に於ける精神病者虐待の実情を見て、之を救済すべく、精神病の研究を始められた、そのそもそもの動機が謳って在る」(若林教授談)(P78)

ちなみに、「キチガイ地獄外道祭文」は物凄く恐ろしい文体であり、内容が全く頭に入ってきません。
・「キチガイ地獄外道祭文」という字面の恐ろしさ
・突然始まる「▼ああアーーーああーーアアア。」という歌声の表記
・200回以上登場する「チャカポコ」の文字

…読者はこの章で、まさしく地獄に突き落とされます。

地球表面は狂人の一大解放治療場(P98~)

「狂人救済の動機から精神病の研究に着手された、その最初の研究的立場を、辛辣な諧謔交りに、新聞記者に説明されましたもので『この地球表面上に生息している人間の一人として精神異常者でないものはない』という精神病理学の根本原理が極めて痛快、率直に論証して在ります」(若林教授談)(P78)

新聞記者が書いた記事、という形でまとめられています。

絶対探偵小説 脳髄は物を考える処に非ず(P102~)

「今日まで研究不可能と目されていた『脳髄』の真実の機能をドン底まで明らかにされると同時に、従来の科学が絶対に解決できなかった精神病その他に関する心霊界の奇怪現象を一つ残らず、やすやすと解決していかれた大論文『脳髄論』の内容を、面白おかしく新聞記者に説明されたもので御座います」(若林教授談)(P78)

「人間は脳髄で物を考えず、全身三十兆の細胞が物を考えている」(P125)という主張が脳髄論の骨子です。

※この章に「アンポンタン・ポカン君」が登場します。
彼は、『脳髄論』を唱え、病院の七号室にいる遺伝的精神病の発作にかかった美青年(P105)である、と描写されています。

胎児の夢(P129~)

自分を生んだ両親の心理生活を初めてとして、先祖代々のさまざまの習慣とか、心理の集積とか言うものが、どうして胎児自身に伝わって来たかという『心理遺伝』の内容が明示して在る(若林教授談)(P78)

補足すると
・「胎児の夢」は、明治四十(1907)年に正木が卒業論文として大学に提出した文章(P64)。
人間の胎児は、母の胎内にいる十ヶ月の間に一つの夢を見ている。その夢とは元始の単細胞式微生物の生活状態から始まって、人間の姿に進化してくる間の全て(天変地妖、自然淘汰、災難、迫害、辛苦など)である(P129)
ということになります。

空前絶後の遺言書(P146~) ♢心理遺伝論付録♢含む

「狂人の解放治療の実験の結果報告」(若林教授談)(P78)です。

遺言書のはずですが、遺言書の中に「正木教授がプレゼンテーションをする姿」が書かれているなど、一風変わったものです(【暗転】や【字幕】という表現が出てくる)。
また、遺言書の中に「♢心理遺伝論付録♢……各種実例」(P195~)というものが挿入されており、そこには「呉一郎の発作顛末ーW氏の手記に拠るー」(P195)など、事件に深く関わる内容が書かれています。

用語解説まとめ

ここまで用語解説を読んできた方はこう思ったと思います。

「さっぱり分からん」と。

しかしながら、「さっぱり分からない」という感想で合っています。
何故ならこれらは全て真実を覆い隠すためのミスリードであるからです。

各種考察前のまとめ

さて、ここから各種考察!といきたいところですが、今のところ「さっぱり分からん!」という感想しか持っていない為、少し整理を行いたいと思います。

正木教授の主張まとめ

正木教授が提唱する【キチガイ地獄外道祭文】【脳髄論】【胎児の夢】【空前絶後の遺言書】等々…
これらすべてを一文に要約すると
「正木教授は『先祖の心理は子孫に遺伝する』と考えていた」
ということになります。
(因みに、この主張が現実に即しているかどうかは問題ではありません。探偵小説的なプロットの話です。)

上記主張を証明するための最重要人物が「呉一郎」なのあり、主張の証明の為に作られたものが「狂人開放治療場」です。
(「狂人の解放治療場」にいるのは、「個人個人特有の極端、奇抜な心理遺伝の発作」が出ている人、という記述がある)(P150)

正木教授と若林教授の因縁のまとめ

正木教授は何をしたかったのか、若林教授は何をしたかったのか、これらは事件の全てに関係します。
改めて二人の関係性を整理します。

過去の因縁 (明治三十(1897)年~)(P330~)

互いに首席を争い続けていた
・精神科学方面の研究に興味を持っていた二人は、呉一族に伝わる伝承を知り、この研究を完成するためには、あらゆる人情も良心も、神も仏も踏み潰し蹴散らして行く決心であり、そのことを二人で固く約束した。
・呉家に伝わる絵巻物を所持している可能性がある呉家の次女:子と若林がお付き合い開始
・正木が若林といい仲にあった呉千世子に「若林は肺病の血筋である」と触れ込み、呉千世子を若林から奪った
・呉千世子は「呉一郎」を出産(父親不明)
・正木が呉千世子から呉家に伝わる絵巻物の在りかを聞き出し奪取。その後、呉千世子の前から姿を消す。

若林からすると
〇首席を奪われた
〇恋人を奪われた
〇自分が見つけられなかった絵巻物を奪われた

ということになります。

二人の研究テーマ

正木教授:『因果応報』もしくは『輪廻転生』の科学的原理…すなわち『心理遺伝』の証明(P340)
若林教授:著書である『精神科学応用の犯罪とその証跡』の完成

正木教授と若林教授のどちらも己の学術論文の完成のために呉一郎の心理的暴走を望んでいた正木教授は呉一郎に呉青秀の心理が遺伝することを望んでいた、ということになります

 

各種考察

呉千世子を殺害した犯人は誰か?

犯人候補は「心理遺伝を起こした呉一郎」「実験のためなら神仏も恐れない若林教授」「実験のためなら神仏も恐れない正木教授」です。

まず、呉一郎は違います。

若林教授の実況見分調書によると、呉千世子「背面より絹製の帯締めを以て絞殺され」(P208)ています。
しかしながら、呉一郎の独白によると「千世子の苦悶の表情が、ツイ鼻の先に現れた」(P379)とあります。
背面から首を絞めながら、被害者の顔を見ることは出来ませんから、呉一郎は犯人ではありません。(部屋に鏡があった描写もありません)
(もちろん、若林教授の調査書が全て噓である可能性、又は呉一郎がこの時も離魂病になっていた可能性はありますが…)

では、「若林教授」「正木教授」のどちらでしょうか。
この謎を解くには、呉千世子は何故殺害されたのか、という「動機」の面から考える必要があります。

動機はズバリ「呉一郎を母親の千世子から切離して、モヨ子と接近させる」(P321)こと、つまり心理遺伝の実験の一環として殺害された、ということになります。
そして、呉一郎の心理遺伝を爆発させるためには「呉家に伝わる絵巻物」が必要です。
呉千世子をこのタイミングで殺害出来た=呉一郎の実験開始のボタンを押すことが出来たのは、この時点で絵巻物を所持していた「正木教授」ということになります。

若林教授はいずれ実験を開始するつもりだったのでしょうが、絵巻物の在りかが分かっていません。
肺病で余命が短い若林教授は、不用意に実験を開始することは出来ません。(呉家の男子は呉一郎のみ。呉モヨ子の子が産まれることを期待するには時間がかかり過ぎます

呉家に伝わる絵巻物とは?また、絵巻物を呉一郎に渡したは誰か?

空前絶後の遺言書の最後にも同様の謎が提示されています(P195)。
・この事件は如何なる心理遺伝の爆発に依って生じたものか?
・その心理遺伝を故意に爆発させた者がいるかいないか?

「呉家に伝わる絵巻物」はある程度解説済みです。
天宝十四年(755)年、呉青秀が黛夫人を殺害し遺体を写生した絵巻物、です。所謂「呪いの巻物」ですね。

「折にふれ、事に障りて狂気仕るもの、一人二人と有之。その病態世の常ならず。或は女人を殺めむと致し、又は女人の新墓に鋤鍬を当つるなぞ、安からぬ事のみ致し、人々之を止むる時は、その人をも撃ち殺し、傷つけ候のみならず、吾身も或は舌を噛み、又は縊れて死するなぞ、代代かはる事なく」(P234)
というのが、呉家の男子の特徴であり、更に絵巻物は呉家の男子が見ることが禁じられています。

実際、絵巻物は呉一郎に対して効果覿面でした。
絵巻物を渡された呉一郎は「これは僕がこれから仕上げねばならぬ巻物で、出来上がったら天子様に差し上げねばならぬ」(P225)と言っており、呉青秀の心理が急激に遺伝しています

また、絵巻物を呉一郎に渡したのは絵巻物を持っていた「正木教授」ということなります。

呉一郎は何故、呉モヨ子を殺害し「狂人開放治療場」で五名の男女を殺傷したのか?

これについては「正木教授に絵巻物を見せられ、心理遺伝が爆発したから」ということになります。
遺体の写生についても、先祖である呉青秀の心理が原因です。

「私」の横の独房にいるのは呉モヨ子なのか?「私」は呉一郎なのか?

探偵小説的整合性から言うと、二人は「呉モヨ子」であり「呉一郎」であって欲しいところです

しかしながら、呉モヨ子に関しては確証が持てません

六号室にいる患者は「一郎兄さん。あなたはまだ妾を思い出さないのですか(中略)モヨ子ですよ…」と名乗っているのですが、前半では「結婚式を挙げる前の晩の真夜中に、お兄様のお手にかかって死んでしまったのです…」(P9)と言っています。

「兄さん」と「お兄様」と呼称が違うので、推理小説的に言えばこの二人は別人という事になります。

呉モヨ子は呉一族なので、心理遺伝を起こしている可能性もありますが、呉青秀の妻:黛も、黛の双子の妹:芬も「結婚式を挙げる前の晩の真夜中に、お兄様のお手にかかって死んで」しまったわけではないので、前半の描写も心理遺伝を起こしているわけではありません。

・P379時点は呉一郎は夢遊状態にあるので、現実ではない声が聞こえた
・呉モヨ子は呉一郎のことを「兄さん」「お兄様」のどちらの呼称も使っていた
・若林教授が呉一郎の記憶を蘇らせるために雇った俳優
・赤の他人

様々な可能性が考えられますが、真相は闇の中です。

「私」に関しては「子宮には、嘗て一児を孕みたる痕跡を止むるのみなる事を確かめ得たり」と呉千世子の検分書類がありますので、「私」は「呉一郎の双子」ではない、と言えます。

全く関係ない呉一族の男子、という結論では面白みに欠けるので、「私」=「呉一郎」という図式は成り立っていいはずです

考察の結論

ここまではある程度、ドグラ・マグラに書かれていることをまとめただけです。
これまでの内容から、さらに隠されている真実を探ってみます

呉一郎の父と「お父さん」

呉一郎の父は誰なのでしょうか。

・絵巻物の最後に「正木一郎母 千世子 正木敬之様みもとに」(P362)
正木教授に対してお父さん、この間あの石切場で、僕に貸して下すった絵巻物を、も一ペン貸して下さいませんか」(P373)とありますので、正木教授が呉一郎の父である、ということでしょう。

しかし、です。

呉一郎と若林教授が初めて出会ったのは、大正十三年四月二日、母:千世子の死に関して事情聴取が行われている時です(P195)。その際、呉一郎は若林教授のことを「先生」と呼んでいます。

そして、大正十五年五月三日、福岡地方裁判所内で呉一郎、正木教授、若林教授の3人が一堂に会する時があります。(P249)
その際、呉一郎は若林教授ことも「お父さん」と呼んでいます
これはどういうことなのでしょうか。

「お父さん」の効力

結論から言うと、この「お父さん」は、「全ての罪を正木教授に押し付ける」とことを若林教授に決意させた一言です。(若林教授にとっての「お父さん」は、呉一郎にとっての午砲(ドン)お同じ効力を持っていたことになります)

「先生」と呼ばれた大正十三年から「お父さん」と呼ばれた大正十五年までの大きな出来事「正木教授が呉一郎に直接接触した」ことです。

若林教授は
「正木は呉一郎に『若林教授が君の父親だ』と吹き込んだのだ!」
と考えたのだと思います。

若林教授は、元々正木教授に恨みがあります。(卒業時の首席、呉千世子を奪われた、研究の必須アイテムである絵巻物の在りかを先に突き止められた)
呉一郎は何の気なしに「お父さん」と呼んだのかもしれませんが、若林教授は憎い相手の仕業だと思い込んでしまった、ということです。

実際に「お父さん」と呼ばれた若林教授は「只さえ青い顔が見る間に血の気を喪って(中略)青筋が二本モリモリと這い出した。憤怒とも驚愕とも形容の出来ない形相になったかと思うと、(中略)正木博士を振り返った。今にも噛み付きそうな凄まじい眼色をして…」(P249)という状態になっています。
「正木教授が吹き込んだ」と確信している描写です。



また、「お父さん」に関して、法医学の権威である若林教授は自分と呉一郎に親子関係があることを既に把握していた、という可能性もあります。

その場合、お父さんと呼ばれた若林教授は
「まずい!自分と呉千世子との関係が露見してしまう…!関係者全員の口を塞がねば!」
と考えたということになりますが、表情の描写や正木教授の自殺後に呉一郎を生かしておいていることからも、この可能性は薄いと思います

若林教授の罪

若林教授は善人ではありません。
やはり、「研究を完成するためには、あらゆる人情も良心も、神も仏も踏み潰し蹴散らして行く決心」があっただけはあり、かなりの罪を犯しています。

①呉モヨ子の死の偽装
→呉モヨ子を蘇生させたのは良かったと思いますが、生存を公表しなかったため、モヨ子の母:呉八代子は非常に大きな精神的ショックを受け、心神喪失状態になってしまいました。

②正木教授の死に関与?
→大正十五年十月二十日、「手足を狂人用鉄製の手枷足枷を以て緊縛した」状態で海岸に漂着している正木教授が発見されます(P372)。
足枷はともかく、手枷を自分でつけることは出来るのでしょうか?

③正木教授の遺言書の隠蔽
→「正木博士の自殺原因に就ては遺書等も見当たらぬらしく」(P373)とあります。「空前絶後の遺言書」を隠したのは、若林教授ということになります

※因みに、正木教授が証明したかった「心理遺伝」ですが、呉一郎が狂人の解放治療場内の人々を殺傷したことで、呉一郎は自分の先祖である呉青秀の心理を引き継いでいることは証明できたわけです(その状態から呉一郎が自分を取り戻すことが出来ればより良かったのでしょうが、「心理遺伝」とは別の話です)。その主張の裏付けとなる遺言書を公表しなかったことからも、若林教授の正木教授への恨みが強かったことが分かります。

④放火
→これが最も大きな罪だと思います。正木教授の遺体が発見された後、呉八代子宅及び絵巻物に関連のある如月寺が消失、呉八代子も焼死を遂げています。
この事件の犯人は若林教授でしかあり得ません。(偶然、というにはタイミングが良すぎます)

 

登場人物紹介

探偵小説的見解におけるドグラ・マグラの登場人物紹介を行います。

呉一郎(くれいちろう)

呉青秀の子孫。正木・若林の心理遺伝の実験対象。一連の事件の被害者。父:正木敬之、母:呉千世子。
母と二人暮らしで生活していたが、自分の目の前で母が殺害される(犯人は正木教授)。状況証拠的に犯人だと疑われるが、若林教授の尽力により無罪放免となる。
母死亡後、伯母:呉八代子宅で生活開始。伯母の子である呉モヨ子と結婚する予定であったが、結婚式前日に呉家に伝わる絵巻物を正木に見せられたことにより心理遺伝を発症。「自分は呉青秀であり、絵巻物を完成させるためにモヨ子を殺害し写生する必要がある」と思い込み、呉モヨ子を殺害(未遂)。その後、九州大学精神病科第七号室に収容。病院内に正木教授が作り上げた「解放治療場」と第七号室を行き来する生活を続ける。一時は自分の脳髄を頭の中から掴み出し床の上にタタキ付け、一気に踏み潰す真似をし「アンポンタン・ポカン君」と呼ばれるほど病状は悪化するが、徐々に容体は回復。
しかしながら、正木教授の実験により呉青秀の「心理遺伝が寸分の狂いもなく現れ」、解放治療場にいた五名の男女を殺傷。その後正木教授から全ての秘密を打ち明けられ「ドグラ・マグラ」を書きあげる。
その後は心理遺伝の呪縛に囚われ続けている。第七号室を出ることは叶わない…

正木敬之(まさきけいし)

千葉県出身。九州帝国大学精神学教授。墺国理学博士・独国哲学博士・仏国文学博士。一連の事件の実行犯。呉一郎の父。
若林と大学の同期。精神科学方面の研究に興味を持っており、呉家に伝わる伝承及び絵巻物を生涯の研究テーマと定める。若林とお付き合いしていた呉青秀(755年、妻を殺害し遺体を写生。また、近隣住民も殺傷した人物)の子孫:呉千世子に若林の悪い噂を吹き込み、若林と別れされお付き合い開始。卒業論文「胎児の夢」により大学を首席卒業。呉千世子から絵巻物の在りかを聞き出し絵巻物を奪取した後、呉千世子の前から姿を消す(失踪後、呉千代子は呉一郎を出産)。
海外で研究を続け、一定の成果を上げる。帰国後、面黒楼万児と名乗り『キチガイ地獄外道祭文』を謳いながら全国行脚。
呉一郎が年齢を重ね、心理遺伝の実験を行う準備が整ってきたところで、実験の邪魔になる呉千世子を殺害。
また、脳髄論を書きあげ、恩師である斎藤教授に接触を図る。(斎藤教授を殺害?)
斎藤教授の代わりに大学教授となり、「狂人解放治療場」を私費で着工。その後、呉一郎に接触し、呉家に伝わる絵巻物を呉一郎に見せる(呉一郎は心理遺伝発症し呉モヨ子を殺害(未遂))。
呉一郎を精神科に入院させ、先祖である呉青秀の心理が遺伝するように画策(念願叶い、呉一郎が狂人解放治療場内にいた男女5人を殺傷)。解放治療は予想通りの大成功、と喜び「空前絶後の遺言書」を作成。
その後、若林教授の企みに気付き呉一郎を説得するが呉一郎の想像以上の回復に驚き全ての犯行を自供。自殺(若林教授に殺害された可能性あり)。

若林鏡太郎(わかばやしきょうたろう)

千葉県出身。九州帝国大学法医学教授。一連の事件の影の犯人。
正木と大学の同期。精神科学方面の研究に興味を持っており、呉家に伝わる伝承及び絵巻物を生涯の研究テーマと定める。呉青秀の子孫:呉千世子とは、呉家に伝わる絵巻物の在りかを聞き出すためにお付き合いしていたが、千世子も絵巻物も正木に奪われる。その後大学に残り、法医学の大家となる。(正木が行う呉一郎に対する実験を止めることが出来る立場だったが、特に行動せず)
呉千世子の訃報を聞き、正木の実験が始まったことを知る。
呉一郎に首を絞められた呉モヨ子を蘇生させたが、生存を公表しないまま精神科に入院させる。
その後、呉一郎に「お父さん」と呼ばれたことにより、正木教授への復讐を決意。
呉一郎に対し、自分に有利な証言をするよう様々な暗示をかけながら会話する。正木教授が呉一郎に自供しているところを聞き、正木教授の自殺を見届ける(若しくは殺害)。正木教授が作成した遺言書は隠匿。その後、生き証人である呉八代子の自宅及び絵巻物が保管されていた如月寺に放火し、呉八代子を殺害。全てを正木教授のせい又は自分には関係のない事件として決着を迎えることに成功。
呉モヨ子及び呉一郎の記憶が回復すると困るので、呉一郎の調子が良くなると「キチガイ地獄外道祭文」などを読ませ、夢遊状態を繰り返させている。
正木博士と、呉家の運命と、福岡県司法当局と、九大の名誉と、事件に関する出来事の一切合財をタッタ一人で人知れず支配し翻弄している怪魔人。

ドグラ・マグラ

結局のところ、ドグラ・マグラとは何だったのでしょうか

言葉の意味

維新前後までは切支丹伴天連の使う幻魔術のことを言った長崎地方の方言。
「堂廻目眩」「戸惑面喰」という当て字で「ドグラ・マグラ」と読む(P54)
と若林教授が解説しています。

作中作「ドグラ・マグラ」

本作の中に『ドグラ・マグラ』が登場します(P51)。これは「青年患者が一週間ばかりで不眠不休で書き上げたもの」です。
内容は
・『精神病院は此世の活地獄』という事実を痛切に唄いあらわしたの文句
・『世界の人間は一人残らず精神病者』おいう事実を立証する精神科学者の談話筆記
・胎児を主人公とする万有進化の大悪夢に関する学術論文
・『脳髄は一種の電話交換局に過ぎない』と喝破した精神病患者の演説記録
・冗談半分に書いたような遺言書
・唐時代の名工が描いた死美人の腐敗画像
・その腐敗美人の生前に生写しとも言うべき現代の美少女に恋い慕われた一人の美青年が、無意識のうちに犯した残虐、不倫、見るに堪えない傷害、殺人事件の調査書類(P54-55)
と、本作ドグラ・マグラと同じ内容が書かれているようです

しかしながら、作中作ドグラ・マグラは、終わりが「……ブウウーーンンンーーンンンン……」(P51)なのですが、本作の終わりは「……ブウウウーーンンーーンンン……」(P380)です。
「ウ」の数も「ン」の数も違うので、違った作品であると捉えるべきでしょう。
(作中作ドグラ・マグラに「遺言書」が含まれている事から、正木教授自殺後に書かれたものです)

個人的ドグラ・マグラ

三一書房版の巻頭にある中井英夫の書評が全てを言い表していると思っています。

「夢野久作全集の内容見本を見ていて、へえと思ったのは、著名な作家や評論家の何人かが、たいそう率直に、夢野はよく知らないとか、『ドグラ・マグラ』は読んでいないとか書いていることだった。」

つまりは、「読書家の間でマウントを取りあうための本」ですかね…。

総評

色々と書いてきましたが、物語としては面白いです。話の筋は理解できるし、言葉も理解できます。
「日本探偵小説界の最高峰」とまでは言い過ぎかもしれませんが、探偵小説としての体裁は整っていると思います(「正木教授と若林教授は千葉県出身」(P61)とさりげなく書き、「呉一郎の父親の故郷は千葉県か栃木県」(P196)と書いているところなど)。

しかしながら、力を入れて読んだ部分の全ては策略だったり、さらに力を入れて読んだ部分は主人公にしか見えていないものだったりするため、読み進めることに非常に体力を使います。

体力を使い切りながら読み終えた先、物語は一応の結末を迎えます。
しかしながら、それは本作の主人公が理解したい結末であり、真の結末と言えるものではありません(私が書いたものも、私の中での結末に過ぎません)。

最後にアマゾンで見た本作の紹介文を載せておきます。

精神医学の未開の領域に挑んで、久作一流のドグマをほしいままに駆使しながら、遺伝と夢中遊行病、唯物化学と精神科学の対峙、ライバル学者の闘争、千年前の伝承など、あまりにもりだくさんの趣向で、かえって読者を五里霧中に導いてしまう。それがこの大作の奇妙な魅力であって、千人が読めば千人ほどの感興が湧くにちがいない探偵小説の枠を無視した空前絶後の奇想小説。

読んでよかった度:☆☆☆
また読みたい度:☆
物語の筋を理解するためだけに2~3回読む必要がある度:☆☆☆☆☆

ドグラマグラは映画化もされています。
本書の内容を109分の映画にまとめたことだけで、とてつもない偉業だと思います!
特に松本人志が認めた落語家:桂枝雀の怪演を賞賛する映画評が多いそうです。

閑話休題のところでも載せましたが、予告編がYouTubeにありました。

また、CGアニメーションにもなっています。
残念ながら、内容はなかり改編されていますが…

ドグラ・マグラを読むことが出来た方には、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』もオススメです。

本 | こそぶろ (kosoburo.com)