この事件は奇蹟なのか!? その可能性はすでに考えた 感想&考察【一部ネタバレあり】

感想
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2015年に講談社から書き下ろしで刊行された、井上真偽(まぎ)さんの第2作:その可能性はすでに考えた
・2016年度第16回本格ミステリ大賞選出
・2016年度版「本格ミステリ・ベスト10」第5位
・「ミステリが読みたい!2016年度版」第5位
・「黄金の本格ミステリー」2016年度選出
等々、様々なミステリランキングにランクインしている作品です。
ワクワクしながら読み始めました。

※総評(ネタバレ前)以後、ネタバレがあります!!

※今後出てくる作品のページ数は「講談社文庫」のページ数です。

あらすじ

山村で起きたカルト宗教団体の斬首集団自殺。
唯一生き残った少女には、首を斬られた少年が自分を抱えて運ぶ不可解な記憶があった。首無し聖人伝説の如き事件の真相とは?探偵・上苙丞(うえおろじょう)はその謎が奇蹟であることを証明しようとする。
ロジックの面白さと奇蹟の存在を信じる斬新な探偵にミステリ界激賞の話題作。

感想

ページを開いてすぐ横溝正史「悪魔が来りて笛を吹く」の引用、そして「村の概略図」があり、とてもワクワクします。
前作同様本作も問題編が短く、第一章を読み終わり「これはこれからどんどん状況証拠が出てくるタイプの小説だな」と思って第二章を途中まで読み進めたところでガツンとした衝撃を受け、本作は「第一章で全ての条件が提示されている本である」ということを理解し、第一章の熟読に戻りました…

さて本作は、依頼人が持ち込んだ事件に対して探偵が「この事件は奇蹟である」と証明することが目的です。探偵はそのために分厚い報告書(P85)を作り、依頼人に「この事件は奇蹟でした」と説明します。
(報告書の総量は、「三百九十二ページ以上」(P305)であり「片手で頭の横に掲げられる」(P165)量です)

そこに第三者が登場し、様々な仮説を展開していき物語が展開します。
本作には三つの仮説が出てきますが、その仮説を思いつくにはかなりの知識量が要求されます。
探偵及び読者の目的は「仮説をいかに否定するか」「『その可能性はすでに考えた』と名ゼリフを放てるか」にあります。

仮説に対する探偵の否定はとても面白く、「なるほど、この描写からこのような状況を思い描くことが出来るのか!」ととても感心します。しかし納得がいかない部分も複数あります。
多重解決モノとして書くためには、事件解決方法を三つ書く必要があり通常の作品を書く三倍大変だったと思います。カルト宗教団体を用いて村そのものを巨大な密室にしていることや魅力的な登場人物など、小説としてはとても面白かったです。

総評(ネタバレ前)

読んでよかった度:☆☆(面白く読むことが出来ましたが、多重解決ジャンルが個人的に好みではないので)
また読みたい度:☆☆☆(つっこみどころを見つけられそうなので)
探偵の報告書を読んでみたい度:☆☆☆☆

※以下ネタバレがあります!!

総評(ネタバレ後)

仮説→それを否定という展開や、それぞれの仮説に独特の仮説の名称がついている点などは面白く読めました。
しかし、奇蹟の証明も誤りであり、そして最後に探偵が語る事件解決方法も「偶然」に頼り切っているものであるため、小説としての決着のつけ方に納得がいきません。
井上真偽さんにはコナン君の名セリフ「真実はいつも一つ!」をお届けしたいと思います…。

そして本作に登場する人々は諦めが良すぎます。
仮説を展開する三人も、そして探偵もカヴァリエーレ枢機卿もです。
(仮説を展開する三人は「一度反論されたら終了」という枷をカヴァリエーレ枢機卿に設けられていたのかもしれませんが)
あれだけ奇蹟の証明に固執している探偵、そしてカヴァリエーレ枢機卿の諦めの良さは読んでいてびっくりするほどでした。

炙り家畜踏み車

探偵はプレートの数字・豚足の数から当時の豚の数は九匹であると結論づけています(P153)。

ですが、
最後の晩餐シーンでリゼの「この晩餐で元『十二番』が食べられたかどうかについては、少年ははっきりと口にしなかった。もちろん家畜小屋に行けばすぐわかることだったが」(P57)という証言から矛盾します。
何故ならば、豚が九匹(十二番~二十番)しかおらず33人に対して「豚の足が一人一本ずつもらえた」のであれば元十二番(現十三番~二十番)が食べられたことは自明であり、家畜小屋に行かずとも「食べられた」ということが分かるからです。
語り手(リゼ)が嘘をつくと本作が崩壊しますので、残る可能性は豚は二十一匹以上いて、リゼは二十一番以上の数と元十二番の数を入れ替えた、ということです。

プレート問題についてですが、「ん?なぜ十二番のプレートを……」(P41)という発言は、プレートがその向きだからそう読んだだけであり、「次に食べられるのがこの『十二番』だから……」と言ったのは、「十番まで食べられ、十一番は病死した」ということをドウニは認識しており、その知識及びリゼの優しい性格から推察したからでしょう。

その他、炙り家畜踏み車を成立させる際の難しそうな点は、
・50キロもあるギロチンの刃を使った簡易ギロチン台の設置→ゴミ捨て場(旧井戸)にある滑車を使用
・使用したギロチンの刃をギロチン台に適切に戻す→発見時のギロチン台の描写がないので、ギロチン台の近くまでギロチンの刃を持っていき、余震で崩れたと言い訳
という方法でクリア出来ると思います。つまり、炙り家畜踏み車は実行された可能性があります!

水車トレビュシェット・ピンホールショット

探偵は祠の中は暗いと結論付けています。

ですが、
「滝が涸れて何日目かの夜、急に『最後の晩餐』というものが開かれた。(中略)彼女は食事の始まる少し前に一人で祠に行き」(P56)という証言があります。
この際「『最後の晩餐』に向けてめかしこむために、少女は祭壇の鏡を使った」(P235)ことは探偵も認めるところです。
しかし、「夜、急に『最後の晩餐』が開かれた」のであれば、『最後の晩餐』に向けてめかしこむ時間帯は夜のはずです。
①道中どうやって移動したのか
②どのようにして祠で自分の姿を認識したのか

という疑問が出てきます。
①道中は懐中電灯等を使った可能性も考えましたが、電気や工業製品を極力使わないというアーミッシュの教義(P33)及び右足を骨折して松葉杖を使用している点から懐中電灯等の所持及び使用は難しいと思います。
道中は照明器具は持っていなかったということは、星明りや月明かりを頼りに移動したということです。(「ありったけの薪でキャンプファイヤーが焚かれ」(P56)ているので、道中は明るかったのかもしれません)
(骨折後、松葉杖を使って石段を登って祠に行くことにも若干の違和感を覚えますが、そこはおしゃれには命をかける女子だから、という理由でいいと思います)
②「どのようにして祠で自分の姿を認識したのか?」という疑問が残り、それに対しては「ランプような光源があった」としか考えられません。
この光源の正体は描写がないため不明ですが、「家畜の鶏も自分で処理して食べた」(P81)→生で鶏を食べない→「リゼは光源作成に欠かせない何らかの火種を所持していた」と言えると思います。(もちろん、生でバリバリ食べた可能性もありますが…)
(ちなみに「炙り家畜踏み車」「水車トレビュシェット・ピンホールショット」のどちらにも必要不可欠な物が「火種」です)

まとめると、集団自殺から翌朝までの時間帯に「何者かが光源に火をつけ、その明かりによりリゼはドウニの顔を認識できた」ということです。
このことにより、「祭壇」「鏡」がどのような状態でも問題ないということになり、「水車トレビュシェット・ピンホールショットによりリゼ達は祭壇にぶつかった。ギプスは無事で鏡が倒れた」(P236)しかし「別の光源によりドウニの顔を認識できた」という状況を作り出すことが可能です。

この「急に」という表現は「(普段の食事からすると)『急に(豪華な)』最後の晩餐が」という意味かもしれず、おめかしをしたのは夕方、という可能性もありますがここは厳密に表記して欲しかったです…

ついでに言いますと。
「この祭壇、実は中身は発泡スチロール製でね(中略)。食品の使い回しの箱はまずいかな(後略)」(P46)
「ギプスは転んだだけで一度壊れてしまった。すぐに少年が作り直してくれたが」(P56)
という表現から、リゼのギプスの材料は祭壇の発泡スチロールではないかと思えます。その場合、すでに祭壇は存在しないことになります。
(食料庫にある食品用の発泡スチロールを使用した可能性もありますが、川の水がなくなり発電用の水車を回せなくなった際、保冷効果がある発泡スチロールを積極的に提供しないと思います)

もっと言えば。
リゼの目があり、トレビュシェットの作成は難しいと思います。
この仮説の中では「最後の晩餐」の際、リゼが拝殿から祠に移動しています。いくら夜とはいえ、道が分かる程度の月明かり・星明かり・キャンプファイヤーの明かりがあれば、水車の異常に気付かなかったはずがありません。(教祖の禊中の3日間に作った可能性はありますが)

君の神様はどこにいる?-聖ウィニフレッドのクリーン発電-

探偵は「少年は『禊入り』の前にも後にも食料は運べない。むろん足を骨折した少女にも運べない」「食料は少年と少女以外の誰かが運んだことになるが、食料が少年と少女しか知らない場所に運ばれていた事実に反する」と結論付けています。

ですが、
「少女の証言によれば、例の『子豚の隠し場所』の中にも、水瓶や未開封の脱脂粉乳の袋が目一杯詰め込まれていた」(P81)と証言しているのみです。
「『目一杯詰め込まれていた』と証言した」であれば、詰め込んだのはリゼではないですが、上記表現では子豚の隠し場所に詰め込んだのはリゼであっても成立します。
「子豚はドウニの遺体に齧りつくほどの悪戯をしている」(P81)わけですから、リゼが豚の食料を隠すのは当然だと思います。
つまり「誰かが食料を祠に運び、リゼが水瓶や脱脂粉乳を『隠し場所』に運んだ」という状態が成立します。

ちなみに。
八ツ星少年は大麻栽培について言及していますが、その可能性は限りなく低いと思います。
探偵の捜査能力が低いならば問題は生じないのですが「当時の新聞記事、関連書籍、警察の実況見分調書等、入手できる情報はあらゆる手立てを使って入手し、分析を進めた(P80)」とあります。
そして「畑は火事でほぼ焼かれていた(P83)」という証言がありますので、一部は燃え残ったということです。
昭和23年に無免許での大麻の所持・栽培・輸出入が禁止されていますので、大麻が栽培されていたのであれば警察の調書から漏れるとは思えません。
(本作は大麻が合法時代の話かとも思いましたが、昭和の時代にトレッドミルは存在しないでしょう)
大麻の栽培が事件に関係ないことから記載を省いたのかもしれませんが、ハイになること・妄想をかきたてることなどが大麻の効果である以上、大麻の使用と事件は切っても切れない縁があるはずです。(例えば、「首の件は大麻使用に基づくリゼの妄想だった」など)

また、八ツ星少年は「村の生産物といったら、狭い耕作地で作るわずかな農作物のみ。どうやって食料を増やすのか?(中略)村ではもっと付加価値の高いものを、栽培していた」(P286)ということを論拠に大麻を栽培していたことを導いていますが、「月に数回の『交易』で幹部の人たちが外から買ってきた。村の作物などの売り物を積んだ荷車が、その何倍もの商品を載せて戻ってくる」(P39)という証言と齟齬があると思います。
まず、大麻の育つ速さは不明ですが、植物の栽培により「月に数回」も交易が出来るとは思えないからです。
となると、村の作物「など」の売り物、つまり人間を売っていたとも解釈できます。
ここでは所謂人身売買ではなく、村の人々による暴力事の請負や単純な出稼ぎ、又は春を売る行為などがそれにあたるでしょう。
荷車に村人が載っていることをリゼは不審がったかもしれませんが、その行為に宗教的意味付けをして説明すれば「蘇り」同様リゼは信じたと思います。

さらに言うと。
「二百キログラムの岩を落下させる作業を二十回繰り返せば冷蔵庫を一時間動かせる」(P282)とありますが、教祖一人の力ではどう考えても不可能だと思います。二百キロの岩を二十回落下させる作業に必要な岩は4トンです。禊は丸3日=72時間ありますから、単純計算で288トンの岩が必要だということになります。(冷蔵庫は保冷機能も多少ありますから、もう少し岩の量を減らすことが出来るでしょうが、それでも100トンは必要だと思われます)
これはもう、「教祖」という名前がついた重機でなければ解決できない問題です。
「信者たちを使うこともできた」(P291)ともありますが、さすがに100トンの岩を運ばせたら誰かが怪しむのではないでしょうか?

第五章

探偵の前に姿を現したリゼと回想の『リゼ』は別人である、と明かされます。
…が、この叙述トリックは、物語において特に意味がないと思います。
むしろ、カヴァリエーレ枢機卿の主張を代弁する際「私の貧相な記憶力では、とても暗記などできませんので」(P332)と語り、カンペを見ながらP332-P339まで喋りますが、
カンペを見ないと8ページ分の内容が語れない貧相な記憶力の持ち主が語る、問題提起パート:P29-P76にどれほどの信頼性がおけるのでしょうか…事件の大枠はあっているのでしょうが、細かな点においては信頼性が薄れてきた=物語の崩壊が起こると思います。
推理小説の中で「私の記憶力は貧相だ」と書かれている場合、その人物の記憶力は貧相ではなければなりません。枢機卿にこう言えと言われていた、とか、日本人の美徳:謙遜によるものだ、とか色々と言い訳が出来ると思いますが、それならばそれに至る根拠も書くべきです)

枢機卿

枢機卿の主張は、「仮説に対する探偵の主張は正しいがその全部を並べてみると明らかな矛盾が生じる」→「探偵の主張は必ずどれかが間違っている」というもの(P338)

それに対して
「……やられた。フーリンは観念し、静かに目を閉じた」(P339)
探偵は「ーー憂思黙想ーー」に入り(P344)
「せめて一矢を。人間の意地を見せてやれ、ウエオロ・ジョウー!」(P347)
と大騒ぎをします。
しかし、探偵の主張に矛盾が生じるのは、そもそもの仮説が間違っているから。という理由なのではないでしょうか?
この部分は読み込んでも理解が出来なかったので諦めましたが「教祖が少年を殺すつもり」という条件を「教祖が出入り口を爆破した」という論拠から導いたことが失敗だったようです。
しかし「教祖が少年を殺すつもり」という条件は「拝殿に少年を含む村人全員を集め、次々と村人の首を刎ねた」という事実だけで証明できるのではないでしょうか?

第六章

この教団の核が「贖罪」だった(P364)、という点には賛成です。
そうでもなければ教祖が次々と首を斬っている際、三十人以上の人間が大人しくしているとは思えないからです。

しかし探偵の最後の解決法は誤りです。
教祖が少年の脱出を全面的に支持していた場合、ドウニは水車トレビュシェットを作る必要性がありません。そうすると、発見時慰霊塔が水車及び水車小屋の近くで炭化したことと矛盾するはずです。

解決①

祠内にある「神棚」-神様の霊が宿る御神体を納めた、扉付きの奥の岩穴ーがあること(P43)
教祖が信者の首を斬り回っている際にタイミング良く村が火の海になっていること(P66)
日本の多神教である神道が教義に取り入れられていること(P34)
このことからから導き出せる結論は、村の中にもう一人いた、ということです。
ずばり、現人神です。
名付けて「神の御業-ブラウン神父ver.-」
下記はリゼの証言です。
「遺体も人数分見つかっている」(P68)→神なので「人」としてカウントされない
「カメラには外部の人間の出入りは確認されなかった」(P69)→現人神は内部の人間なので映っていても問題なし
「レスキューが私を保護したとき、他に生存者がいないか村の中を隈なく探したが見つからなかった」(P69)→村の隅にひっそりと隠れ、リゼを保護する前に逃げ出していた
また、現人神が水車トレビュシェットを用いて脱出していたとすれば探偵の解決法の問題も解決です。

最大の問題は描写に現人神の存在が全く出ていない点です。そこは「現人神は人間と接触できない」という教義があったためリゼの認識から漏れていた、という苦しい言い訳が…出来ないでしょうか?

解決②

・最後の晩餐後も豚はいた
・村で大麻は作られていなかった

ということを前提に置きます。
そして、「他の信者たちと同じく拝殿に大人しく籠もる」(P56)という証言から、滝が涸れてから信者たちは拝殿から一歩も出なかった、とします(最後の晩餐のキャンプファイヤーの時以外)。
もちろん、一日一回の食事の準備・トイレなどの理由により、拝殿から一歩も外に出なかったとは考えにくいです。また、リゼが寝ている時間に何をしてもバレることはありません。
しかしながら、推理小説に「他の信者たちと同じく拝殿に大人しく籠もる」(P56)と書いている以上、滝が涸れた後に拝殿から外に出ることが出来たのは教祖とドウニだけだと解釈するべきです。

また、「三十人の大人が大人しく首を斬られた」(大麻がないので村人を昏睡させていた訳ではない)「食事が一食になっても暴動が起きなかった」「村の出口がふさがれても信者たちは大人しく拝殿に籠もっている」ことから、死を受け入れる教義が行き届いていた、そして教祖の発言には一定以上の影響力があったことが分かります。(そんな村の中で、村からの脱出を計画するドウニは異端者です。)

さて、滝が枯れドウニは「集団自殺」が起こることを確信します。
その後ドウニは、蓄電のため教祖に命じられ「炙り家畜踏み車」を制作します(制作していなくてもいいですが)
教祖が祈祷の間に入った後は、リゼと自分のためにせっせと食料を祠に運びます。また、一縷の望みをかけて「水車トレビュシェット」を作ります。
禊後、リゼが首を斬られそうになっていたため割って入ります。
拝殿からは脱出し、水車トレビュシェットを試しましたが脱出は出来ませんでした。
祠にリゼを運びますが、地震で信者の宿舎が倒壊したほどですから拝殿が崩れ信者が出てこないとも限りません。(「拝殿も火事に見舞われていたが、外側の扉や壁などが焼けただけで、内部まで火は及ばなかった」(P83)とありますので、木造ではないかもしれませんが、窓の有無が分かりません)
拝殿から信者が出てきた場合、リゼ諸共首を落とされるのは目に見えていますから、教祖と直接対決に向かいます。
交渉内容は「リゼの身の安全」「リゼが生きる意味を見出すために蘇りを演出すること」交渉材料は「自分を畜生と同じ地位に落とす動物用のギロチンでの処刑」です。他人のために自らの命を投げ出す「自己犠牲」はキリスト教では聖なる行為。ドウニの交渉に納得した教祖はドウニの望み通りに演出。
…という流れではないでしょうか。

その他

友情

大門さんの
「例のイタリア人のことなどもう忘れろ」
「君は勝利したわけではない。儂の仮説を否定してしまった時点で、君はもう負けたも同然なのだ」(P160)
という発言は、最初に読んだときは何のことやら理解できませんでしたが、状況を知ってしまって考えるとかなりのネタバレをしています。状況を知っている探偵やフーリンからすると、最後のカヴァリエーレ枢機卿の登場は確かに驚くものではなかったのでしょう(P316)。
リーシーやカヴァリエーレ枢機卿など闇の住人の存在が近くにいる状態でここまでのネタバレを行う大門さん…!
探偵と大門さんの男の友情に拍手を送りたいです。

借金額

第1作目:恋と禁忌の述語論理での探偵の借金額は一億八千七百万円(P267)でしたが、本作では一億四千二百三十一万円(P11)です。
上苙の描写上の性格上借金をコツコツ返しているとも思えません。
また、第1作目にはいた助手の士道夏海さんが本作はいませんし、上苙が来予知能力を身につけてもいません。
時系列は本作の方が第1作目より先、ということになるのでしょうか。


気になる点はいくつかありましたが、第3作目「聖女の毒杯 その可能性はすでに考えた」よりははるかに納得がいく内容でした。
物語のテンポも良く、3つの仮説を楽しむことも出来ました。
多重解決モノが好きな方、私が立てた仮説が正しいかどうか検証してみたい方にはオススメの一冊です。

井上真偽さんの第3作目「聖女の毒杯 その可能性はすでに考えた」。個人的にはなかなかの問題作でした。