麻耶雄嵩の名作「夏と冬の奏鳴曲」 出来事を時系列に並べ謎を考察する【ネタバレあり】

感想
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1993年8月に講談社ノベルスから発行された、麻耶雄嵩(まやゆたか)さんの小説です。

本作は1994年度「このミステリーがすごい」で第17位に選ばれています。

麻耶雄嵩さんと言えば、2017年に嵐の相葉雅紀さん主演のテレビドラマ「貴族探偵」の原作を書いた人であると同時に、個人的には様々な「問題作」を世に送り出している人という印象です。
本作は…麻耶雄嵩さん最大の問題作と言っていいのではないでしょうか。

※今後出てくる作品のページ数は「講談社ノベルス」のページ数です。

あらすじ

歪んだ館が聳え、たえず地が揺れ、20年前に死んだはずの女性の影がすべてを支配する不思議な島「和音(かずね)島」。真夏に雪が降りつもった朝、島の主の首なし死体が断崖に建つテラスに発見された。だが殺人者の足跡はない!
ラストの大破局(カタストロフィ)、メルカトル鮎のとどめの一言。……ミステリに新たなる地平を拓く奇蹟の書。

※このあらすじは講談社ノベルスの背表紙から引用しています。

さすが講談社ノベルス、裏表紙の煽り文句が素敵です!
普段なら「大破局をカタストロフィと読ませるのはちょっと…」と思うのですが、本作を読み終わった後であれば、カタストロフィとしか読めなくなります。

ちなみに著書のことばには「あけてびっくり玉手箱 ポン」と書かれています…。

本作の紹介

本作にまつわる様々なことを簡単にまとめてみました。

人物紹介

登場人物の人物像です。

20年前、和音島で生活を共にしていた人物

小柳寛/パトリク神父…20年前和音島から戻った後カソリックに帰依。長野にあるイエズス協会に赴任中(P18)。
間宮和音…映画、春と秋の奏鳴曲主演女優。
水鏡三摩地(みまち)…大富豪。9歳の時に交通事故に遭い下半身まひ。電動車いす使用。25歳の時に両親を事故で失う。20年間和音島で生活。55歳(P40)。(如月烏有が所属する会社の編集長と面識がある)
武藤紀之…尚美の兄。故人。
村沢孝久…小規模な貿易会社経営(P18)。42歳(P17)。
村沢尚美…孝久の妻。自然体の楚々とした雰囲気の持ち主(P20)。
結城孟…京都にある老舗の呉服屋の経営者一族。スポーツマンらしい引き締った体躯と顔つき(P17)。島を出た三年後に一度結婚するが2年で破局(P60)。42歳(P17)。

上記メンバーは、真宮和音の存在が核となり島での生活を行い、1年後に解散しています(P20)。

取材の為に同行

如月烏有(きさらぎうゆう)…創華社(P62)の準社員(P12)。京都地盤の情報誌のような雑誌「京・趣」の一部を担当。21歳(P11)。
舞奈桐璃(まいなとうり)…京都のオニワバンダナ女子高(P43)に通う高校三年生(P13)。烏有のアシスタント。17歳(P15)。
桐璃はローレル指数が90を割り込むという描写があります(P132)。この指数、桐璃の身長を160㎝と仮定すると、体重は何と37㎏しかないことになります!(身長を低くすると、体重はさらに減少します)。痩せすぎ、というよりも何かの病気を疑いたくなる体重です…

その他

真鍋泰行・道代…水鏡の使用人。50を3つか4つか過ぎた歳。20年間水鏡の世話をしている(P26)。得意料理はロシア料理。

結城・村沢夫婦・小柳が20年ぶりに和音島を訪問するので、烏有と桐璃は島のメンバーの過去の生活などの取材を行うために同行している…というのが物語の始まりです。

和音島について

正式名称:波都(はと)島(P21)

位置:隠岐(島根県)と輪島(石川県)を結ぶライン上(P11)にある。(最寄りは数十キロある舞鶴港(P182)なので、住所地は京都府?)

島全体:半径1キロ程の小島。大部分が切り立った崖で囲まれている。島全体が急峻な傾斜をもつ一つの山で、中心の頂から八方へ振り下ろす、ちょうどチューリップハットのような形状をしている。砂浜は南側の50mばかり。それ以外は岩塊(P21-P22)

和音館について

歴史:21年前に建設(P23)。

外観:イギリス風の白い洋館。4階建て、白塗りの壁に黄緑色の屋根。屋敷全体にアンバランスなところがある(P23)。

内観:階段を昇り始めると途端に平衡感覚を失くしたようになる(P28)。全体的に歪んでいる。

その他:4階、階段を上がった正面に縦2メートル、横1.5メートルの和音の肖像画がある(P79)。画の裏に施錠された”サンクチュアリ”(P294)としての和音の部屋に続く扉がある(P113)。画は武藤作(P125)。

感想

非常に難解です!

正直ドグラ・マグラ程ではないですが「本書を読破した者は、必ず一度は精神に異常を来たす」と紹介してもかまわないくらい難解です。
私の中での本作のイメージは「調律された奇書」でしょうか(黒死館殺人事件寄りではなくドグラ・マグラ寄り、一番イメージが近いのは匣の中の失楽です)。

本作は「絶海の孤島で不可解な事件が起こる」という、ミステリ的にはある意味でオーソドックスなつくりです。
そんな本作を難解にさせている原因の一つは、数々の専門用語です。

ラプラスの悪魔、ハイゼンベルクの不確定性原理、キュビズム、ユークリッド幾何学と遠近法の廃棄、相対性理論による認識の有限化、超弦理論、パピエ・コレ、”展開”、fermi-dirac統計、ミニ・プレートテクトニクス、そして、『和音』…

ミステリを読みこなすには、教養が欠かせないようです…

専門用語だけでも難解ですが、本作をさらに難しくさせている主な原因は、銘探偵メルカトル鮎が大活躍する「エピローグ【補遺】」全499ページの中の最後の3ページです。
この3ページのおかげで、ある程度の結末を迎えていた物語が、とんでもない化け物へと変貌します。

「この一文で世界が変わる!」というような煽り文句のミステリがありますが、本作がその最たるものと言ってもいいかもしれません。
そういった仕掛けのミステリの場合、通常は納得感を提供しますが、本作は混乱を提供してくれます。

「ミステリを読みたい!」と思っている方には…おススメできません!!
生半可なミステリには飽きた方、あっと驚く小説が読みたい方、麻耶雄嵩さんについて知りたい方、そういった方にのみオススメ出来るミステリでした。

総評

読んでよかった度:☆☆☆☆
また読みたい度:☆☆
個人的にはもう少し分かりやすいミステリの方が好み度:☆☆☆☆☆

※以下ネタバレがあります!!

簡単なあらすじ

まずは物語の全体像を掴むため、簡単なあらすじを時系列でまとめてみました。

過去編

・21年前春 武藤が和音と巡り逢う。その後すぐに水鏡と知り合い、水鏡は和音のパトロンとなる。水鏡は島と館と生活の代償として武藤の妹である尚美を要求(P399)
武藤と和音が逢った1ヵ月後、武藤は一人で「春と秋の奏鳴曲」のシナリオを書きあげる(P105)
「春と秋の奏鳴曲」が京都市の外れの一軒の映画館で一週間ほど上映される(P35)
※和音役は武藤妹。
※映画上映から二、三ヶ月後に島での共同生活を始めている(P35)ことから、シナリオを書いてすぐ映画を撮影し、すぐ上映したと思われる。
・21年前夏 (島に来る直前)武藤が17歳の和音の肖像画を描く(P79,P125)
※桐璃にそっくりの肖像画
※画は、村沢・尚美・結城にとって「和音」に見える(P125)
・21年前夏 (映画上映から二、三ヶ月後)武藤・武藤妹(尚美)・小柳・結城・村沢・水鏡が和音と共に和音島で共同生活を始める(P35)。
・時期不明 小柳が和音の肖像画を描き「この画が和音かどうか?」という議論が1週間続く。小柳にはデッサンの素質があり、和音に似ていたが一面的だった。武藤が描いた和音より小柳が描いた和音が、本当の和音に近いと思われるかもしれないことが許せず、画は廃棄(P123-P125)
・20年前7月頃 水鏡と水鏡以外の人間との考え方の相違が各々に重圧を与えていた。その後、「クルト・ヘンリッヒ:立体派の内奥」により共同生活が崩壊(P403)
・20年前8月 武藤が「春と秋の奏鳴曲」の続編である小説「黙示録」を完成させる(P106)
・20年前8月10日 和音が皆の目の前で、後ろが崖になっている中庭のテラスからふわりと空に浮かぶようにして落ちていった。崖の下は海流が激しく岩場も多く、和音は浮かんでこなかった。警察も発見することができなかった(P98)
・20年前8月12日 武藤死亡(真実は武藤が水鏡を殺し水鏡になり替わった)。武藤が「自分が水鏡になりすまし和音島を護る」ことについて、結城と小柳を説得するよう村沢に依頼。村沢は説得の条件として金と武藤妹(尚美)を武藤に要求(P401)。武藤承諾(武藤妹(尚美)が武藤の指示で村沢と結婚したことについて、結城と小柳には知らされなかった)。
・島を出る時、木の十字架のような和音の碑を燃やす(P98)
・水鏡になり替わった武藤は、使用人として真鍋夫妻を雇う。真鍋夫婦は産院を経営しており、死産と偽り幼児を売買していた疑いがある(P224)。

如月烏有

小学校五年生、十一の夏 山岳部に所属する東京大学医学部3年生(二十一歳)の青年に命を救われる。葬儀に参列し、己の犯した罪に気付き、青年の人生を背負いこむ羽目に陥った。また、青年には黄色い瞳の七歳くらいの妹(桐璃?)がいる(P162-P163)。
高校三年時 猛勉強の末、青年が通っていた東京大学医学部を受験するが不合格(P164)
次年度 京都に出てきて予備校に通う。勉強したが東大医学部はおろか名のある私大も全て不合格。京都の三流私立医科に合格(P165)。
大学入学一年目 周囲と折り合おうとし、学友とキャンパスライフを愉しみ、登山にも挑戦。半年だが彼女もできたが、才能なき者の努力というものの虚しさと、限界というものの強靭さ(東大医学部に落ちたショック、青年に成れなかった後悔)により、闇の中で過ごした(P165)。
大学入学二年目四月~五月 自分が何もできない人間だと結論を下し、下宿の畳の上から動けなくなる。
大学入学二年目六月 桂川の上流を当てもなくぶらつき歩くようになる(P73)
大学入学二年目七月 舞奈桐璃を見かける(P76)。ある日黒衣婦人といった扮装(和音島での食事会で着ていた服:桐璃の母の遺品(P55))に惹かれる。すれ違う時、帽子を拾ったことをきっかけに、その後桂川の畔で毎日のように他愛もない話を一時間ほどして帰る毎日が続く(P277)
大学入学二年目九月頃 風邪を拗らせ下宿で臥せっていた烏有のもとを桐璃が訪問。桐璃から創華社のアルバイトを紹介される(P276-P279)
大学入学三年目春 大学中退(P165)

島編

事件に関することは本作中に書かれていますので、重要なことを抜粋してまとめてみます。
なお、目を抉られた舞奈桐璃を「桐璃①」、両目が揃った舞奈桐璃を「桐璃②」として表記します。

8月5日より前?
桐璃②が和音島に上陸?(桐璃②は、和音館の主電源を落とす悪戯を行うことが出来る程度には和音館の内部構造を知っていることから、水鏡=武藤の協力もあったと思われる)
桐璃②は和音の墓碑周辺に鈴を仕込むなど様々な準備を行う。

8月6日22時頃
武藤の指示?により真鍋夫妻が和音島から去る(遠くでエンジンの音が聞こえるという描写(P151)より)。

8月7日深夜1時~3時
桐璃②が和音の墓碑周辺を掘り返し鈴を仕込む&受信機を破壊。雪が降る。
8月7日朝4時~朝5時
桐璃①の眼を抉りに来た(?)武藤を、桐璃①と部屋を代わっていた烏有が返り討ち(P462)。烏有、武藤の死体を武藤の部屋に運ぶ。何らかの理由で武藤の部屋を訪れた神父が武藤の死体&黙示録を発見。死体をテラスまで運び首を切断(P470)。

8月8日10時
村沢は武藤と裏取引をして尚美と結婚できたことを結城に説明(P298)
8月8日夜中
桐璃②が結城の部屋から出てくるところを尚美が目撃(P392)
桐璃①の部屋にナイフを持った結城が忍び込もうとする。烏有に見つかり争いになる。烏有、結城をテラスから海に投げ捨てる(P460)
(結城をテラスから海に投げ捨てるところを桐璃が見たと言っていますが、桐璃の部屋は海側では?)
神父、水鏡(武藤)の遺体を海に捨てる?

8月9日17時
地震。桐璃②が和音館の主電源を落とす悪戯(P351)

8月10日
6日目結城が南の海岸に流れ着き、右掌に旧びた鈴が握られている(P380)
和音の墓碑跡が誰かによって埋められ、足元にトリカブトが植えられている(P382)
鈴、トリカブトは桐璃②の仕業?

8月11日
烏有が桐璃①の部屋で尚美の髪を発見(P446)。桐璃①の眼を抉ったのは尚美だと確信し、夜に尚美を殺害(P459)

8月12日
村沢が「尚美は舞奈くんを傷つけてしまった……」と、桐璃①の眼を抉ったのが尚美であることを認める(P461)。烏有、桐璃②を選ぶ(P496)
そして、総てが了った 閉幕(カーテンフォール)。

島に集まっている人間の思想

この島で何があったかを理解する為には、島に集まっている人間の思想を理解する必要があります。
学術的や科学的の正誤はともかく、和音島にいる人間はこう考えている、ということをまとめてみました。

分析的キュビム

まず、彼らは神を創る手段として本義が対象の絶対化にある(P358)キュビズム、その中でも分析的キュビズムに注目します。

分析的キュビズムとは、三次元から二次元への変移を複合視座を用いることにより、対象のフォルムを分解し再構築する手法のことです(P305)。
…これだけだとよく分かりませんが、要するに「一つの物を色んな角度から見たら全然違う物に見えるけど、それをなんとかして一つの物として表現する手法」というような意味合いです。

分析的キュビズムを用いてどのように神を創ろうとしたのかについて、神父の言葉をいくつか引用します(P358-P361)。

キュビズム的還元つまり”展開”の方法はその中心が持つ”本質”によって決定される
「”本質”や”核”は特異なものであるが、”摂動”を規定するものは主観的なもの」
「主観と客観の超越に神は存在する。主観と客観の衝突の過程によって『神』を創り出していく」
「和音は、和音だけでは『神』たり得ない。(中略)わたしたちが還元し“展開”する作業を伴うことが真に、“『神』なり”
「キュビズム的還元による“展開”とは、“展開”こそが『神』
「わたしたちが、措定した和音の人間的営為を裁断し和音を中心に再縫合することによって、和音も人間としての還元、“展開”を行うことによって、我々同等の人各々の中から、絶対的な、次元を一つ越えた人間として屹立することが可能なのです」
※「展開」=「対象を認識する過程の告白」=「世界の変化の諸関係を、客観的かつ(画家の)主観的な認識の過程に合わせて、瞬間瞬間の断片を次々に展開し、統合していくこと(P258)

…かなり難解です。

彼らの思想の経緯をざっくりまとめると
・島に集まったメンバーは「神」を創りたかった
・神を創る方法として、対象のフォルム(和音)を分解し再構築(還元し展開する)する手法を使うことで対象の絶対化を図った
措定した和音の人間的営為は島にいる人間の数だけある(高音を失われた村沢にとって和音は奇麗に歌を歌うこと、脚が動かない水鏡にとって和音は浜辺を駆けることなど)
措定した和音の人間的営為中心が持つ本質によっても決定されている
ということになります。

要するに
「和音」から各々が感じる「和音ならばやること・出来ること」を、和音を中心に再縫合することにより「絶対的な、次元を一つ越えた神」を創れる、と信じていた
というのが、和音の信奉者の思想です。
(後でまた考察しますが、この「和音を中心に再縫合する」というのが、本作最大の問題点です。
再縫合先は皆の意識の中の架空の人物なのか、それとも実在の人間なのか…?)

例えるならば

簡単な例で例えてみます。
Aさん、Bさん、Cさんが3人で「神」を創ろうとした場合、まず「何を神とするか」を決めます。
話し合いの結果、3人はその辺にいるイケメンを「神」だと考えました。
そしてその辺にいるイケメンは「どんなことがやれるか・出来そうか」の意見を出し合います。
3人は

Aさん:歌が得意そう!
Bさん:ダンスが上手そう!
Cさん:私のことを好きになってくれそう!

と、それぞれ意見を出しました。
この意見は「その辺にいるイケメンが持つ本質」に依存します。「アラブの石油王」を「神」とした場合、「お金持ってそう!」と意見が真っ先に出るでしょう。
また、これらの意見は主観的なものですので、彼氏に振られたばかりのCさんが「私のことを好きになってくれそう!」と思いつくのも可、ということになります。

そして、その辺にいるイケメンに「歌が得意でダンスが上手く、Cさんのことが好き」という属性を持たせる(再縫合)ことによって、「歌が得意でダンスが上手く、Cさんのことが好きなイケメン」=「神」が完成するのです!!

島にいる人間にとっては“展開”こそが『神』
ここで言う”展開”とは「その辺にいるイケメンがどんなことをしそうか意見を出し合い、イケメンを中心に様々な属性を持たせること」を意味します。

この手法、この時点でうまくいかない気がします。何せ神に持たせる属性としてCさんの主観が大きすぎます。Aさんは「このイケメンはCさんのことを好きになる訳ない!」と喧嘩になりそうです。
しかしながら、主観と客観の超越に神は存在するわけですから、揉めるのも致し方なしです。

分析的キュビズムの失敗

分析的キュビズムによって「神」を創ろうとした試みは失敗します
何故失敗したのか、ここでも神父の言葉をいくつか引用します(P384)。

「わたしたちが『和音』を措定した時には既に、同時に空虚なものも措定されてしまうことを含んでいる」
「いかに”展開”を繰り返そうとも、『和音』が唯一の特異でないかぎり、それは『神』への“運動”とはなりえない」

要約すると「失敗した原因は『和音が唯一の特異でなかった』から」ということです。

例えるならば

「歌が得意でダンスが上手く、Cさんのことが好きなイケメン」の”核”はしょせん「その辺にいるイケメン」です。
やはり芸能人クラスのイケメン、唯一の特異レベルのイケメンを中心に据えないと「神」は誕生出来なかったということでしょう…

個人的には、この意見は言い訳だと思っています。
分析的キュビズムにより創った「歌が得意でダンスが上手く、Cさんのことが好きなイケメン」は、AさんやBさんにとって神ではありません。しかし、神を創りたい3人とすると、安易に神を否定する訳にはいかなかったので「核が唯一の特異でないから失敗したのだ!」という言い訳にすがるしかなかったのでしょう…

奇蹟と綜合的キュビズム

分析的キュビズムに失敗した島のメンバーは新しい手法で「神」を創ろうと考えました

綜合的キュビズム

「綜合的キュビズム=カンヴァスの画のなかに実在の物体、新聞の切り抜きや、壁紙、あるいは椅子の一部を明確に、あるいは控え目に忍び込ませる、パピエ・コレ(一種のコラージュ)と呼ばれる手法を使ったもの(P305)」と説明されています。

綜合的キュビズムによる“展開”とは、「和音」の肖像画に「和音」の位相を持った人物の実態を忍び込ませるパピエ・コレを行うこと。
つまり、桐璃の眼をくり抜き和音の肖像画に填め込むことにより、「神」を創ろうとしたことになります。

…正直なところ、なぜ眼をくり抜くことが「神」を創ることになるのか、全く理解不能です。
しかし、神父以外のメンバーはその思想を理解し、行為を肯定していたため、最終的に桐璃の眼は尚美に抉られることになります。
「”展開”の意味を皮相的に捉えていた」(P387)ということなのでしょうか。

奇蹟

神父は少し別の考え方をしています。
神父は、和音が科学を超越できるは、この日常世界に於いての法則に支配されない異物を”核”としなければならないのではないか、そして、その“核”は絶対物であり、絶対性という指標の一つである「奇蹟」を導入することによって、展開を達成できるのではないか、と考えました(P385-P386)。

つまり、神父以外の島の人間は「桐璃の眼」を和音の核としていますが、神父は「奇蹟という概念」を和音の核としています。

神父は和音島で「降雪」と「密室」という普遍的な奇蹟が起こっているので、最高位の奇蹟=「和音の復活」が起こる、と信じています(P387)。

黙示録

黙示録とは何なのでしょうか。
神父は「武藤さんの著した“黙示録”には、この総てが記されていたのです」「迂闊にもわたしは再びこの島に来るまでそれ(武藤の情熱・信仰)を解っていなかったのです」と言っています(P473)。

結論から言えば「20年前に起こったことを詳細に書き表したもの」「新たな和音教の教理」「分析的キュビズムの“展開”の失敗を受け、綜合的キュビズムの“展開”による和音の絶対化を書いたもの」です。

武藤の目的を端的にまとめると「春と秋の奏鳴曲と同じ体験をする人物を創り出し、その人物の眼を抉ること」です。

武藤の20年間の行動をまとめてみます。

黙示録を書きあげた武藤はまず、分析的キュビズムによる“展開”は間違っていたこと・過去の遺物である和音は不必要であることを皆の前で説明し、皆で和音を殺害します。
そして水鏡を殺害。水鏡に成り替わった後、その後「和音」の位相を持った人物を創るために、幼児を売買した疑いのある真鍋夫妻を雇い、「和音」の肖像画に似た人物を探します(この時見つけた人物が桐璃①②の二人です。成長するにつれ、ある程度の整形は行ったと思います。また、この時点での桐璃②の役割ですが、あくまでスペア程度だと思われます)。
それから「和音」の位相を持たせる為、春と秋の奏鳴曲の体験(葬儀に出席、烏有と会話など)を追体験させます(そういった意味で桐璃は女優でした)。

そして、最終的には桐璃を島に招待し、烏有に返り討ちにあう最期でした…

奇蹟

黙示録の中に神父が信じる奇蹟(復活)による絶対化は書いていないはずです。
というのも、神を創る手段の教理に「第二案」があるのはおかしいと思うからです。

実際に神父も「綜合的キュビズムにおいて示された手段……絶対物の混入。即ち、絶対性という指標の一つである“奇蹟”を導入することによって、“展開”を達成できるのではないか?もちろん、それはわたしの見解でしかありませんでしたが」(P386)と言っています。
武藤が望んでいたのは、あくまで綜合的キュビズムによる”展開”パピエ・コレでしょう。

そうなると分かることがもう一つ。
「片目を抉られたはずの桐璃が、抉られる前の姿で登場する」という奇蹟(復活)を演出するために武藤が桐璃を2人用意したのかと思っていましたが、武藤はそういった演出を行う必要はありません。桐璃②は武藤が用意したスペアということなのでしょう。
(また、桐璃②は武藤の完全なる仲間ではありません。桐璃②は2日目の夜に烏有の部屋に訪れていながら、そのことを武藤に報告していません。「部屋を入れ替えた」という報告があれば被害は防げたはずです)


ちなみに、神父は島に来てから、もっと言うと武藤が殺されてから黙示録を読んだと思われます。
・尚美を手に入れるため村沢が武藤と裏取引をしたことを結城に説明(P285)
・烏有君が背負っているものを理解しているような発言(P300)
・「あなたはまだ死ぬべきではない。この舞奈さんを護らなければいけませんから」と桐璃が2人いることを知っている(P469)
など、神父は黙示録を読んだからこそ様々な事実を知り得ています

春と秋の奏鳴曲

春と秋の奏鳴曲を撮った時点で20年後を見据えていたのか。
これについては…何とも言えません!

私が20年後を見据えた場合、もう少し簡単な映画を撮ります!
しかしながら、なかなか体験しえない行為を追体験することにより絶対化が図れる!という気もします…

和音についての考察

さて、ここまでが前フリであり、ここからいよいよ本題に入ります。
本作最大の問題点「和音は実在する人間だったのか?」ということです。

烏有の結論

烏有は和音が実在していない、と考えています(P473)

さらに烏有は「和音の”展開”のための断片として、観念上の”核”の人間世界に於ける存在営為の断片として、物質空間では無であるはずの『和音』を覆い隠す断片として、彼らは和音としての生活の一部ずつ共有したのだ」と考察しています(P474)。

この根拠とすると
・和音の部屋は扉があるだけで、中に部屋がなかったこと
・和音が行ったであろう行為を尚美が行っていること(春と秋の奏鳴曲の主演、テラスで舞うなど)
・和音が描いたとされる4枚の絵の印象が全て違うこと(P86)
・油絵を描いたはずの和音から油の匂いがしなかったこと(P87)
といったところでしょうか。

メルカトル鮎の誘導

メルカトル鮎「きみの所の編集長の名前は?」
烏有「確か彼女の名前は、和……

烏有ははっと口を噤んだ。そして今まで見落としていた、最も重大なことに気がついたかのように、メルカトルを見返した。
「そう……そうだったんですか。最初から……」

という会話があります。
文脈から「和……」の後は「和音」でしょう。

つまり、メルカトル鮎は和音が実在しており、編集長=和音、と考えています。

和音の実在についての考察

個人的には、和音は実在していたと考えていますので、その根拠をまとめてみました。

メルカトル鮎

根拠のうちの一つであり、最大のものは「メルカトル鮎がそう言っているから!!」です。
銘探偵メルカトル鮎は「編集長の名前が“偶然”和音だから」という理由で烏有に推理を展開しないはずです。

当局の発表

「和音は浮かんでこなかった。警察も発見することができなかったよ。海底に広がる複雑な洞穴のどこかに引っかかるか挟まってしまった、というのが当局の見解だったな」
結城の言葉(P98)です。
和音が架空の人物の場合、警察が介入出来る訳がありません。

もちろん、結城のセリフが嘘の可能性はありますが、この警察介入の記録が銘探偵メルカトル鮎の推理に繋がっているのだと思います。

個々人のセリフ

神父「高貴でありながらどこか暗い影を背負っている。あの妖しげな近づき難い雰囲気にわたしは魅了された。美というものが全ての基準でありえたら、『神』だった。」(P85)
結城「和音のような女ははじめてだった。一目見ただけで、俺なんか足元にも及ばないと思ったね。四つ年下の、本当ならまだガキといってもいいような娘なのにね」(P93)
尚美「和音は素晴らしい女性でした」(P120)

烏有の見解通り「和音=存在しない人間」が正しいとすると、上記のようなセリフ、特に外見に関するセリフはまず出てこないはずです。(尚美を褒めている可能性はありますが…)

また、水鏡(武藤)を殺した犯人は誰かについて話し合っている際、「和音が帰って来たんだ」という結城のセリフに、村沢は厳しい叱咤を投げかけています(P187)。
このことから「結城と村沢は、和音が武藤を殺す動機があることを認識している」ということが分かります。

様々な違和感とその結論和音の逆襲

本作は和音の実在性以外にも様々な謎(違和感)があります。

烏有の違和感

烏有に関して様々違和感があります。

春と秋の奏鳴曲の違和感

春と秋の奏鳴曲に出てくるヌルと烏有の今まで歩んできた人生が同一のものでした

「過去、東大理Ⅲ在学中の青年に命を助けられ、浪人の結果、京都の私立医学部に入学している学生」を探すことは、水鏡(武藤)の財力をもってすれば可能であったと思います。(財力にものをいわせれば「東大理Ⅲに合格させず、京都の私立医学部にだけ合格させる」ということも可能だったかもしれません)

問題は会話です。
質問対する回答はある程度操ることは可能でしょう。
桐璃「ねえ、いつもここにきてますね」
烏有「……ああ」(P422)などです。

しかし「烏有からの発言」を操ることは非常に困難だと思います
桐璃が自分の名前を名乗った後に「きみは、学校は」という発言を烏有はしています(P423)が、これが「……(無視)」であったり、「きみは、可愛いね」という発言をする可能性だってあるはずである。

“偶然に密室が発生する小説なんだから、それも偶然だ”という説明もありかと思いましたが、ヌルと烏有の発言を同じにすることは、桐璃に「和音」の位相を持たせるために必要な行為であるため、同一若しくはそれに近い会話を必ずさせなければなりません。

烏有の発言をどのように操ったのでしょうか?

ちなみに、桐璃の会話を操るのは簡単です。桐璃はおそらく真鍋夫婦を介して買われた武藤側の人間です(桐璃が絵に描かれた和音の服を島に持ってきていることも、武藤側の人間である証拠でしょう)「烏有とこういう会話・行動をしろ」と言われていたのでしょう。

武藤殺害時の違和感

烏有「武藤が襲ってきたので抵抗した結果、武藤を殺してしまった」(P462)
ここまでは理解できます。
烏有「死体を水鏡の書斎に戻しておいた」(P463)
ここから理解できません。何故、死体を書斎に戻す必要があったのでしょうか?
水鏡が武藤であることがバレたくない島のメンバーならば武藤の死体に隠蔽工作を働く必要はありますが、烏有が死体を動かす動機も必然性もありません(死体を動かすと、正当防衛の証明も難しくなりそうです)。

また、烏有は自分の部屋についたカーペットの血痕をタバコを押し当て消していますが、武藤の部屋ではこの偽装工作すら行っていません。
さらに言うと武藤が電動車いすで移動してきたであれば、廊下等に放置してある電動車いすを武藤の部屋に戻さなければいけませんが、烏有が使用方法を知っていたとは思えません(電動車いすは持ち上げることができる重量ではないです)。
飛躍して考えると、烏有は武藤の部屋に行き、武藤を殺害した可能性があります。
では動機は?



また、武藤が桐璃の眼を抉るならば、和音の命日である8月10日に行うはずです。
その他にも
・綜合的キュビズムによる“展開”に20年かけているのにあっさりと烏有に返り討ちにあう
・武藤は死亡時「白いシャツ」を着ているが、そのシャツには血が飛び散っていない
など武藤の死に関して違和感はたくさんあります。

エピローグの違和感

烏有は島に渡る以前から、取材対象者に関する知識として「真宮和音」という名前を認識しています。真宮という苗字はともかく「和音」という名前は特徴的であるため「和音」の名前を聞いた時「編集長と同じ名前だ」程度には思っていいはずです(上司の下の名前を覚えていない可能性もありますが、事件後、メルカトル鮎に聞かれてすぐに思い出す程度には記憶しています)。

武藤と編集長の話をし、「和音」に纏わる事件が起こっているのに、何故「編集長の名前=和音」だと気付かなかったのか?

烏有の違和感への結論

結論は一つ。烏有の行動・記憶は20年前に殺され一命を取り留めた編集長=和音に操られていたのです!!!
動機はトリカブトの花言葉にもある「復讐」「敵意」「あなたは私に死を与えた」です。

…推理小説において、犯人の記憶を操るなんてことはタブー中のタブーでしょうが、この結論が一番納得のいく結論です。烏有が行動・記憶を操られていたという視点で見てみると、様々な疑問が解消されます。

烏有の発言は簡単に操ることが出来るでしょう。
烏有は武藤に襲われたのではなく、武藤の部屋に行き武藤を殺害したのでしょう。
「編集長の名前=和音」だと気付かないのも…操られているから仕方ないですね!

(「強烈な催眠術を用いたとしても『人を殺す』といった特殊な指示は出来ない」といった内容の本を読んだことがある気がするので、武藤を殺すのは難しいかもしれませんが、烏有への催眠は長期に渡って(もしかしたら生まれた時から)行われていることを考え、人が殺せる程度に深くかかっている、と考える…のは強引でしょうか?)

夏と冬の奏鳴曲の続編「痾」で、烏有が事件後和音島のことも自分の過去のことも全て忘れていることは、烏有が記憶を操られている証拠となると思います。

和音に関して実際に起こった事

和音を復讐者だとすると、空白の20年には以下のようなことが起きたことになります。

和音はテラスから落とされるが、奇蹟的に一命を取り留める。
武藤から「黙示録」の話をされ、桐璃に「和音」の位相を持たせることなどを依頼され承諾。武藤の計らいで和音島を脱出する(武藤の目的は奇蹟(復活)ではありません。分析的キュビズムによる”展開”が失敗した以上、和音に価値はありません。この時の武藤は綜合的キュビズムによる”展開”である、別の人間に「和音」の位相を持たせる計画に注力していたため、和音が死んでいても生きていてもどちらでもいいはずです)。

それから20年の時間をかけて編集長は復讐の準備をします。

武藤にとっては
桐璃①…和音の位相を持った人物。眼を抉る予定
桐璃②…桐璃①のスペア。パピエ・コレ後殺害予定
烏有 …ヌルの代役。島上陸後殺害予定
だったのでしょうが、
和音(編集長)にとっては
桐璃①…眼を抉られる予定の人物
桐璃②…武藤と和音のダブルスパイ。命を助ける代わりに、編集長への協力を約束させる
烏有 …自分の復讐を託した刃。時間をかけて様々な洗脳を行った

だったということです。

ちなみに桐璃②は「わたしがある人に殺されるとわかってて、でも自分が死んだあともその人はのうのうと生き続けることもわかっていたら、自分が死ぬのが避けられないなら、せめて道連れにしようと思う」(P329)と言っています。このような思考で編集長側についたのでしょう。

和音は実在した&烏有が操られているということを軸に考えると、確定的な情報がないため全てが推論に過ぎなくなりますが、一番納得のいく結論のように…個人的には感じています。

もう一つの和音の正体

これまでに考察の中で決定的な漏れがあります。
それは「鈴」「猫」です。

鈴は和音の墓碑にあったり(P107)、桐璃②が烏有に持たせたり(P150)、掘り返された墓碑の中に鈴があったり(P227)、結城が持っていたり(P380)と、要所要所で登場します。
この鈴、和音を連想させるもののようですが、同時に拒否反応も示すものとして書かれています。

そして猫です。
烏有の運命を導いた黒猫(P379)、桐璃②と一緒に登場する翠色の眼を持った灰色の猫(P478)、そしてその直後に登場する小柄な黒猫(P482)…
また、烏有は島に着いた時「一つだけ、確かなことがありました。それは」というフレーズが突然胸を過ります(P26)。このフレーズの続きは「白いほうの子ねこには、かかわりがなかったということです。それはみんな、黒い子ねこがいけなかったのです (「鏡の国のアリス」ルイス・キャロル)」でしょう。

これに対する回答は個人的には一つしか思いつきません。
ずばり、和音=猫!
島のメンバーは「和音」という素晴らしい猫を称えるために共同生活をおくっていたのです!

猫である「和音」が胸に鈴を付けていたのでしょう。
またおそらく、テラスから猫を投げ捨てた罪悪感を思い出すので、鈴に拒否反応を示しているのでしょう…

最後に

・春と秋の奏鳴曲と、烏有の体験との微妙な描写の違い
・桐璃が着ている服に関して桐璃は母の遺品と言っている(P55)が、烏有は桐璃について「両親とも健在」と言っている(P270)こと
・8月9日冒頭(P333~)は誰の心情描写なのか

など、読めば読むほど謎が深まりますが、大枠の筋としては和音は実在した&烏有が操られていると考えるのが自然な結論のような気がします。
本作を難しくしているのは、島のメンバーの証言をどこまで信頼していいのか分からない点でしょう…

雪の足跡のトリックに「地殻構造の偏りによる、地震の振動波の伝播ムラ」を採用したのは…まさしく空前絶後です。
「作者が用意した解答」はあるのでしょうが、そこに辿り着く前に倒れ伏してしまいました…
麻耶雄嵩さんを感じる名作だったと思います。

本作をしっかりと楽しむには、ミステリ談義が出来る仲間が必要なようです…