暗黒館の殺人の感想【ネタバレあり】 ~江南孝明の正体と最後の館に関する考察含む~

感想
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2004年9月に講談社ノベルスから発行された、綾辻行人(あやつじゆきと)さん著の推理小説です。
日本のミステリー界に大きな影響を与え、新本格ブームを巻き起こしたとされる作品であり、「館シリーズ」の第七作!!

※今後出てくる作品のページ数は「講談社文庫」のページ数です。

あらすじ

蒼白い霧の峠を越えると、湖上の小島に建つ漆黒の館に辿り着く。忌まわしき影に包まれた浦登(うらど)家の人々が住まう「暗黒館」。当主の息子・玄児に招かれた大学生・中也は、数々の謎めいた出来事に遭遇する。十角塔からの墜落者、座敷牢、美しい異形の双子、そして奇怪な宴……。著者畢生の巨編、ここに開幕!

食したまえ、この肉を……浦登家の面面が唱和する。<ダリアの宴>に参加した中也の身には何が?激しい嵐で外界と途絶された中で、ついに勃発する不可解な連続殺人。その被害者は?その犯人は?その動機とは?……謎は複雑怪奇に絡み合い、暗黒館の闇とともに、ひたすらに深まりゆく!!

※このあらすじは講談社文庫一巻、二巻の背表紙から引用しました。

畢生の巨編、なかなかの煽り文句ですが、講談社文庫の数々の煽り文句に比べると、若干物足りなさを感じますね。

感想

とても面白いです!!!

が、読者を選ぶ本だと思います。

まず、とても分量が多いです。四巻全部で8.7cmありました!!(四巻の背表紙に「二六〇〇枚」とありますから、単純計算で100万文字以上あります!)

そして、登場人物も多いです。
一巻冒頭に書かれている「主な登場人物」に登場するのは、総勢29人!!
浦登一族の血縁が複雑に絡み合っているため、家系図を理解するだけで一苦労でした。(ちなみに一巻P437に家系図が登場します。もう少し早く登場させて欲しかったです…)



数々のハードルはありますが、そのハードルを越えると、「館に住む怪しげな一族」「一族による怪しげな儀式『ダリアの宴』」「惑いの檻」「嵐に閉ざされた館で起こる連続殺人」と様々な魅力的な登場人物や舞台装置を目にすることが出来ます。

館シリーズのメイン舞台装置である「暗黒館」ですが、館の構造が過去一番複雑です。
「惑いの檻」を中心に据え、「東館」「北館」「西館」「南館」と館が存在し、その全ての館の平面図が載っています。(もちろん、館は一階建てではありませんので理解するのにかなり時間がかかります…!)

590頁ある一巻を読み終えると、ようやくいわゆる「事件」が起こります。
しかし、これは館シリーズ。一巻目もただの導入ではなく、様々な仕掛けが施されていますので、謎解きを楽しみたい読者にとっては全巻集中して読む必要があります。

物語全体を通して、私は、横溝正史の金田一耕助シリーズのような、というか、分量的には京極夏彦の百鬼夜行シリーズのような、というか、そのような印象を受けました。

綾辻行人さんの館シリーズ(特に十角館の殺人)が好きな人ほど、タイトルにも書きましたがフェア・アンフェア論について思いを馳せてしまいそうな、しかし、霧越邸殺人事件が好きな人は間違いなく虜になるであろう「空前の本格&幻想ミステリー」でした。

総評

読んでよかった度:☆☆☆☆
また読みたい度:☆☆ ☆
本の紹介で「cm」を使うことになるとは思わなかった度:☆☆☆☆☆

※以下ネタバレがあります!!

本作の謎に関して

館シリーズ履修済みの読者にとっては、暗黒館のメインとなっている仕掛け「時間軸がずれている」ということには気付くことが出来ると思います。
というのも、水車館でほぼ同じトリックを使っているからです。
(ちなみに私は十角塔の描写で、「一階分ぶち抜きの広い部屋(1巻P88)」という部分と「大きく云って二つに仕切られている。(中略)一階分をぶち抜きで使っている、と見なすこともできる。(1巻P149)」という部分の言い訳がましい描写に違和感を覚えました。こういった描写を推理小説内で見る場合「場所が違う」か「時間軸が違う」場合が多いからです。)

というか、「少年」が暗黒館に向かう途中で見つけた「異常な状態の人間の身体(1巻P248)」について、時間のズレがない限り、一人称を良いことに江南が車の中に死体を隠していた、としか読めなくなります。(ワトソン役が犯人の場合もありますが…)


館シリーズに慣れ親しんだ読者にとって、本作は「時間軸がずれている」ことに気付いた後、「実際に何年間ずれているのか」そして作者の仕掛けたヒントに対しいくつ気付けるか」ということがポイントだったと思います。(作者の模範解答が四巻にある間奏曲六 (4巻P164) です)

塔から落下した青年

上記の理由により、塔から落下した青年≒江南孝明でないことは明らかですが「では誰なのか」という謎について考える時、問題になるのは、 塔から落下した青年が自ら「江南」だと名乗っているといことです。

これについては、さしたる説明もなく、塔から落下した青年の名字が偶然「江南」だった、というオチですが、この偶然は個人的にはいただけないですね…
(これに加えて中村(浦登)征順≒中村青司の二人。偶然中村姓が一致していたという点も、納得しかねる部分です)

もちろん、「塔から落下した青年は江南孝明でない!」と読者に簡単に気付かせて、「塔から落下した青年=本物の浦登玄児」という解答から目を逸らさせる狙いはあったと思いますが…

もしかしてこういった批判的な声があったから「奇面館の殺人」ではあのような書き方になったのでしょうか?

作中かっこ書きで登場する「声」がやたら喋り出すのは、間奏曲四(2巻P328)から。

「この声は何なんだ」という謎はずっと考えさせられました。

通常の推理小説であれば「その場にいる誰かの心の声」「犯人のモノローグ」といったところですが、声が聞こえてくる場面の登場人物の心の声にしては変ですし、犯人のモノローグだとすると、犯人は幽霊になって全て(それこそ時空を超えて)を把握していたことになります。

声の量が増えるにつれ、声=江南孝明だということは分かりました。
この点も賛否両論あると思いますが、暗黒館に関わる物語を江南孝明が見ている、という書き方にすることで、現代に戻ってきた際の「暗黒館のその後 (4巻P349~) 」が書けているので、個人的にはこの仕掛けは大成功だと思います。

疑問点の整理

本作の途中で中也視点による「疑問点の整理」が書き出され始め(2巻P392)、まとめられます(3巻P75)。

これについてですが「解くべき謎」という認識ではありませんでした。
例えば「あの〈宴〉は何なのか?」という疑問点については「この後読めば分かるしな…」と思ってしまったからです。
せっかく中也がまとめてくれた疑問点でしたが、ワクワクすることはありませんでしたね…

不可解な点

玄遙殺しの件に関して「彼だけはー柳士郎だけは決して玄遙殺しの犯人ではありえなかった」(3巻P501)という玄児の発言に対して、中也は「ーええ。そうなんですよね」という同意をしています
その後「当時九歳の玄児がこの部屋の中に怪しい何者かの姿を目撃した時、玄遙にはまだかろうじて虫の息が残っていた。つまり、犯行後さほどの時間は経っていなかったことになる。曲者はその直後に現場から消え失せたわけだが、当の柳士郎はと云うと、それとほとんど時を同じくして〈ダリアの部屋〉から廊下に出てきたのだ。従って当然、曲者=柳士郎という等式は成り立ちえない。」
という理論展開が成されますが、「かろうじて虫の息が残っていた」→「犯行後さほど時間は経っていなかったことになる」?
犯行から時間が経って虫の息になる場合もあるのでは…?

そして、「曲者」が犯人と同一人物であった場合は『 曲者=柳士郎という等式は成り立ちえない』という理論が成り立ちますが、「曲者」が犯人と同一人物でない場合、この理論は成り立ちません。(そして、事実はそうなります)

ここだけ理論展開がめちゃくちゃなような気がします。
例えば玄児や「中也」のどちらかが、この時点で「曲者=柳士郎」という等式を成り立たせなくない場合は、その会話も成り立ちますが、二人にそういう意図はないようですし…
中也の「ーええ。」の部分に僅かな逡巡が描かれている、ということなのでしょうか。

フェア、アンフェア論

例えば江南孝明は「砂色のブルゾンを取り上げ、シャツの上に羽織 (1巻P69)」っており、塔から落下した青年は「砂色のジャケット」を着ています(1巻P112)。

まあ、この程度であれば、偶然、と言えなくもないと思いますが、塔から落下した青年の名字が「江南」であったり(1巻P344)、中村姓が同じであったりは、黄色信号かな、と思います。

個人的に赤信号だと思うのは江南孝明と本物の浦登玄児の「母の病院に関する記憶」があまりにも似通っている点です (4巻P314) 。
病院なので「薄暗い廊下」「救急車のサイレンの音」「スピーカーから流れるアナウンスの中性的な声」「総合受付の前の長椅子」などは似通った部分はあるかもしれません。
しかし、救急車の受け入れがあるか総合受付があるか等は病院の規模によって違いますし、病室から駆け出した後の行動が「廊下を走り抜ける→階段を駆け下りる→ロビーを通り抜ける→建物の玄関から飛び出して立ち止まる」というものですが…似通い過ぎています。

ここまで現象が似通っていると、ミスリードだとしても、偶然の名を借りたご都合主義にしか思えません。

しかもこのミスリードは「塔から落下した青年=江南孝明」だという図式を成り立たせる為に行われていると思うのですが、車の事故の状況や市郎少年が見つけた死体の状況から、「塔から落下した青年≒江南孝明」 だと思うのが自然です。
だからこそミスリードを強化するために記憶の類似を描いたのだと思いますが…さすがにご都合主義が過ぎると思います。

少しの考察

少し考察をしていきます。

ご都合主義に関して

江南孝明と本物の浦登玄児の 「母の病院に関する記憶」があまりにも似通っているのはです。
そうなると、考えられるのは「誰かが意図的に記憶の操作をした」もしくは「二人は同一人物である」という可能性です。

前者は可能性が低いので、後者に絞って考えるとすると…
本物の浦登玄児は1958年の暗黒館の火災に巻き込まれますが、浦登玄遙の直系であるため第二段階の不死性「事故その他で死んでしまった場合の再生・復活をも可能にする(3巻P369)」に目覚め、6年をかけ赤子の状態で復活し江南孝明となったのです!!

…少し無理がありますね。

しかしながら、少しだけ可能性も感じています。
浦登玄遙の直系男子は両足の指が三本指になり、塔から落下した青年の両足は足指の形成手術痕がある、という話の流れで江南孝明は「そんな肉体的特徴は、僕にはない。僕の足にはそんな手術を受けた痕などない(4巻P214)」と言っています。

一見すると「僕の両足は五本指である」と言っているようですが、私には「僕の両足は三本指で形成手術を受けていない」と言っているように聞こえます!

…やはり無理がありますね。

江南孝明の正体

記憶に関しては「偶然」として片付けるとして、次は本作一巻冒頭で書かれた部分に注目してみました。

・江南孝明は一九六四年生まれのB型 (1巻P22)
・江南孝明は館に対して妙な懐かしさを覚えている (1巻P37)
・江南孝明の母が『あたしが産んだ子じゃない。昔、あたしたち夫婦に引き取られた』と言っている(1巻P43)
です。

このことから考えられることは一つ。
「江南孝明=中村青司の息子」である、ということです。

「中村青司に関する若干の覚書ー鹿谷門実のノートより抜粋(4巻P396~)」によると、
・一九六二年:帰郷
・一九六四年:六月 和枝と結婚。角島に移り住む。←江南孝明が産まれた年
・一九六五年:十一月 長女、千織誕生。
とあり、年数的にもピッタリです。
(これは覚書ですので、「一九六四年十一月七日:長男誕生」という一文が抜けていても問題ないはずです)

館に対して懐かしさを覚えるのは、中村青司から今後の館の構想を聞いていたからでしょう。

また、中村青司の血液型はA型(3巻P65)ですので、母親の血液型がB型かAB型であればB型の子供が産まれる可能性は十分にあります。

そう考えると、江南孝明が見た暗黒館での事件は「父親である中村青司から詳細に暗黒館での事件について聞いていた」「中村青司が詳細に書いた暗黒館での出来事を読んだ」と捉えることが出来ます。


さらにもう一つ。
<ダリアの宴>でダリアの肉を食した中村青司の息子である江南孝明は第一の段階の不死性「老いはするが、事故で致命的な傷を負うか、あるいは誰かに殺されるか、いずれかによってしか死は訪れない(3巻P369) 」を獲得しているということです。

このことは、今回の車の事故や塔からの落下、また、時計館での出来事という数々のピンチに遭いながらも生き延びていることからも分かります。

ダリアの肉を食し、そして、ダリアの宴に10年以上出ていた諸居忠教の血を輸血された中村青司。
ダリアや浦登玄遙と直接の血縁がない、言わば余所者の中村青司の息子に、そう簡単に不死性が顕現するでしょうか?

そう考えると、江南孝明の母は、毎年ダリアの宴に参加しダリアの肉を食し、ダリア・浦登玄遙の曾孫である浦登美鳥なのでしょう。
中村青司の息子が江南家に出された理由も説明がつきます。和枝の怒りを買ったのでしょうね…

おまけ

「声」=江南孝明の発言の中で気になる点があります。
「僕の心の中に棲みついている『角島、十角館炎上』の、あの炎のイメージとはまるで別物の(4巻P327)」という描写が各所に出るのですが、江南孝明は十角館が燃えるところを見ていません。
見ていない炎なので「炎のイメージ」であるのは理解できるのですが、そもそも十角館そのものも見たことがないはずです。

見たことがない館が燃えている様子をイメージできるでしょうか?
十角館を見たことがあるからこそその館が燃える「炎のイメージ」が出来るのではないでしょうか。
つまり、この描写は江南孝明が角島(青屋敷)に住み、十角館を見たことがあることを指し示す描写と言える…気がします。

暗黒館の体験により世界観が変わってしまった江南孝明。
暗黒館後、館シリーズに登場していない点が気になります。最後の館では元気な姿を見せて欲しいです。

最後の館

暗黒館では様々な館の影が出てきます。
「画家の署名”Issei” (1巻P210)」、「糸玉の一つも用意してくるんでした(1巻P224)、宮垣杳太郎 (1巻P587)」、「チェスをしながら『チェシャ』の話(1巻P527)・アリスの対比の話(2巻P262)」、「壁に埋め込まれた時計の文字盤 (1巻P528) ・からくり時計・古峨精計社」、「蝶のびっくり箱 (2巻P271)」、「妖しい微笑を湛えた仮面(3巻P357) 、『不名誉の仮面』(3巻P410)」…
この辺りは、佳多山大地さんの解説(2巻P453)に詳しく書かれています。

これほどまでにこれまでの館シリーズに登場した要素が詰まっている暗黒館ですので、本作の中に最後の館のヒントも隠されていると思います。

現在書かれている館シリーズにないことを注意深く探した結果、一つだけ見つけました。
中村青司提案によって成し遂げられた「<惑いの檻>を中心に東西南北の四つの棟を十文字に結ぶ(4巻P389)」という部分は、中村青司の初めての仕事です。
この改修の意味するところは、ずばり「十字架」です。(第二十八章のタイトルは「封印の十字架」です)

ということで最後の館のタイトルは「十字架ん(じゅうじかん)の殺人」ということでどうでしょうか…!!

つきまとう幻想と深まる十角館の謎

本作はずっと幻想が付きまとっていました。
4巻P365にある浦登征順による「家人に一人、優秀な医師がいるのです」という発言は、最後まで謎が明かされない幻想の一つだと思います。
これは、誰かの子供が産まれていない場合、そして「家人」という表現がされている以上、浦登玄児として育った諸居忠教ということでしょう。(浦登柳士郎が生き延びていた場合、主人はあくまで浦登柳士郎になりますから、「家人」という表現は使わないと思います)
火事から運よく逃げ延びることが出来たのか、はたまた第二段階の不死を手に入れたのか…幻想は深まるばかりです。

十角館の謎

そして、幻想は館シリーズ第一作の十角館にまで影響を及ぼしています。

暗黒館発売後の2007年10月に十角館新装改訂版が発売されており、当初の発売時に比べいくつか改訂が行われていますが、注目改訂ポイントは以下です。

「完全に狂っている、としか思えなかった。私が何を云っても耳を貸さず、自分たちはいよいよ新たな段階を目指すだの、大いなる闇の祝福がどうだのこうだの、送ったプレゼントは大切に扱えだの、わけの分らないことをひとしきりまくしたててね(P297)」(ここで出てくる「私」は中村青司の弟:紅次郎です)。

また、新装改訂版あとがきの中で綾辻行人さんは「本書をもって『十角館の殺人』の決定版とするつもりでいる」と述べています。
つまり、事実はどうあれ、当初は懐疑的だった中村青司ですら、大いなる闇の祝福を信じるに至っている、ということです。

そして、「新たな段階を目指す」という発言は、中村青司は、第一の段階の不死性(老いはするが、事故で致命的な傷を負うか、あるいは誰かに殺されるか、いずれかによってしか死は訪れない)はすでに獲得していると信じていた、ということも言えると思います。



ここで一つ謎が生じます。
和枝は不死性を獲得できなかったor不死性を分け与えていなかったのに、「自分たちはいよいよ新たな段階を目指す」という表現の「たち」は誰を表しているのでしょうか?

ここで言う自分たちの「たち」とは「妻:和枝」のことではなく「浦登玄児として育った諸居忠教」のことを指している、というのは考えすぎでしょうか…

十角館のもう一つの真実

中村青司を凶行に走らせた動機がはっきりしました。
それは千織が急性アルコール中毒で死亡したから。

第一の段階の不死性を獲得している自分の娘が急性アルコール中毒で死ぬ訳がない。
つまり、千織は自分の娘ではないという確信を得たことが動機の核心の部分でしょう。



中村青司に不死性を持たせるか、それともそうでないのか。
もしくは、江南孝明の足が3本指なのか、それともそうでないのか。
このことにより館シリーズが論理で終わるか、幻想で終わるかが決まってくると思います。

最後に

色々と書きましたが、本作は物凄く緻密に練り上げられた傑作だと思います。

「時間軸が違う」というトリックを使う推理小説はありますが、阿蘇山中岳(1958年)と雲仙普賢岳の噴火(1991年)という現実に起きた出来事に即して時間軸を決定し、三十三年分のずれをたくみに書き分け、はたまた事件が起こる場所(館)の位置まで微調整した小説今まで見たことがありません。

また、序盤に「時間軸のずれ」に気付いていた読者に対しては、テレビを見ている際の違和感(2巻P206)は2段構えの謎になっていて面白いと思います。
何年ずれているかを正確に把握していないと、「見ているテレビが白黒である」→「テレビに映っている建物の屋根の色が分かるのはおかしい」という考えそのものが思いつきません。

分量から言って他人に簡単におすすめすることは難しいかもしれませんが、微に入り細を穿つ仕掛けが張り巡らされている名作でした。



個人的に一番のお気に入り。
綾辻行人さんの館シリーズ第一作:十角館の殺人の感想はこちらです。