伽藍堂の殺人~Banach-Tarski Paradox~【感想と考察】

感想
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2014年9月に講談社ノベルスから発行された、周木律(しゅうきりつ)さんの堂シリーズ第四作目「伽藍堂の殺人~Banach-Tarski Paradox~」の感想です。

堂シリーズもついに四作目。(サブタイトルは「バナッハタルスキ パラドクス」と読むそうです。この用語の説明も本作に登場します)
シリーズを通しての様々な謎も気になりますので、今作も期待して読み始めてみました。


※総評(ネタバレ前)以後、ネタバレがあります!!

※今後出てくる作品のページ数は「講談社ノベルス」のページ数です。

あらすじ

警察庁キャリアの宮司司は、大学院生の妹・百合子とともに宗教施設として使われた、二つの館が佇む島ー伽藍島(がらんとう)を訪れる。
島には、数学史上最大の難問・リーマン予想の解法を求め、超越者・善知鳥神や、放浪の数学者・十和田只人も招待されていた。
不吉な予感を覚える司を嘲笑うかのように、講演会直後、招かれた数学者たちが姿を消し、死体となって発見される。だがその死体は瞬間移動したとしか思われず…?
張り巡らされた謎が一点に収束を始めるシリーズの極点!

感想

少し疑問の残る本でした。

今回も密室!館!不可能犯罪!です。
日本海に面したN県沿岸にある伽藍島。その島の中にある奥行き約三十メートル、幅約三十メートル、高さ約三十メートルの巨大な立方空間が二つ。朱に満ちた伽堂、そして緑に満ちた藍堂。ここが本作の館です。
(ちなみに高さ三十メートルは、ビル十階建て相当です!)

本作は今までの堂シリーズとは様相が異なり、大掛かりなトリックが一つありそれに付随する謎をどのように解き明かすのか、ということがテーマになっています。
トリックを見破るためのヒントは作中様々な部分にちりばめられているので、見抜ける方は見抜けると思います。

しかしながら、作中で使われたトリックの実現可能性への疑問や犯人特定の証拠不足など、眼球堂の殺人で見られた、いわゆる本格物が持つ作品の緻密さがなかったことは非常に残念です。
連作が続きすぎて、作者が疲れてしまったのでしょうか…?

とはいえ、仕掛けられたトリックは壮大そのものであり、読者があっと驚くことは間違いありせん。
また、堂シリーズを第一作から読み続けている読者にとっては、様々な謎が解き明かされる作品でした。

そして、伽藍堂から読み始めても問題ありませんが、全ての伏線を回収するためには、第一作:眼球堂の殺人第二作:双孔堂の殺人第三作:五覚堂の殺人を読む必要があると思います。第一作:眼球堂の殺人は非常にオススメですので、ぜひ読んでみてください。
また、堂シリーズ未読の方には独断と偏見でまとめた堂シリーズランキングがおすすめです。

総評(ネタバレ前)

読んでよかった度:☆☆☆
また読みたい度:☆☆
伽藍堂の設備を建設可能かプロに聞いてみたい度:☆☆☆☆☆

※以下ネタバレがあります!!

総評(ネタバレ後)

伽藍堂は浮島。潮力によって回転する。伽藍島の横回転に伴い、伽堂が百八十度縦回転し藍堂に似た姿になる(P221-229)
…というのが本作のトリックの骨子です。 
伽堂を三十メートルとし、地図の縮尺が正しければ全長二百メートル以上はありそうな島を浮かせ、潮力により回転させる建物を作ることが出来るのか、という点が単純に疑問ですが、BT教団は信者も多く潤沢な資金を持っていそうですし、さらには建築学科卒業の作家さんが書いているのだから出来るのでしょう。

本作のトリックが明かされた時、「〇〇という凄い手段を用いて密室は作られたのだ!!」というタイプの推理小説を連想しました。
トリックは確かにすごいと思いますが、そのトリックが使われた蓋然性や背景に納得がいかないと、多少興醒めしてしまいます。
(逆にトリックが特異で、そしてそれを作品の味としているのが東野圭吾さんのガリレオシリーズだと思います)
本作のトリックが「善知鳥神に殺人容疑をかけたかった」ために用いられたとすると、その試みは失敗でしょう。
そもそも何ではやにえにする必要が…?
「神を信じない者・邪神を信じる者はBT教団内において、はやにえにされてきた」とか、何でもいいので理由をこじつけて欲しかったです。

これ以後、伽堂が回転して藍堂の姿になった堂を伽堂Aと表現します。

個人的に思う事としては、本作の第一の事件は偶然に頼り過ぎていると思います。
そもそも常沢さんがマイクスタンドにしがみつかなかったら?
常沢さんが伽堂の回転中に落下したら?
せり舞台の真上まで常沢さんが到達したとして、落下した場所がせり舞台の穴以外の場所だったら?
どの場合でも、伽堂Aのどこかに常沢さんの身体が転がっていることになり、大石さんは講演を行うどころではありません。

そもそも、片腕で鉄棒に掴まって長時間自分の体重を支えることは出来ません。
伽堂の回転速度は不明ですが、真上に到達するまでに力尽きて落下する可能性が非常に高いと思います。
常沢さんは、右手がなく左手に頼った生活ですので、左手の筋力が常人以上についていた可能性はありますが、細身の身体(P37)という表現がありますので筋骨隆々ではないはずです。

このトリックは十和田先生が「藤天皇の指示に基づき実行した」と自供しています(P261)。
藤天皇がこんな確実性の低いトリックを採用したのならば、非常に残念です…。
十和田先生が考えたトリックだったとしてもがっかりですし、そして、十和田先生の説明に何の疑問を持たない宮司警視正にもがっかりです…。

何はともあれ結果ははやにえになっている訳ですので、偶然が味方したか、若しくは
①伽堂において、品井さんが常沢さんを眠らせる?等の手段を用いる。そして、せり舞台の下に放り込む
②回転後、伽堂Aで大石さんが講演(この時、常沢さんの身体は大石さんの真上
③大石さんを殴って気絶させた後、上のせり舞台を開き、常沢さんの身体を落下させる
④せり舞台を開き、常沢さん→大石さんの順に放り込む
⑤伽堂Aを回転し伽堂へ。二人の身体はマイクの真上に。そして上のせり舞台を開く
⑥大石さん→常沢さんの順に落下し、はやにえ状態に…
という流れならば可能です。
問題点とすると、
伽堂のせり舞台の下に常沢さんの身体があった証拠が残ること。
伽堂の天井に常沢さんの身体が落下した証拠が残ること。
ぐらいでしょうか。

しかし、このトリックを用いるならば、せり舞台に大人の身体を放り込む必要が出てきます。
「年齢は七十過ぎ、腰が曲がった小柄な老女(P44)」である品井さんには少し荷が重い気がしますので、藍堂に最後までいた十和田先生が犯罪の片棒を担いでいる、ということになるのでしょうか?

さて、堂シリーズでおなじみのアナグラムは、「林田呂人」→「十和田只人」というものでした。
第二作目でも使っていた、漢字アナグラムですね。
そして、「昇待蘭堂」も何かしらのアナグラムであろうと思っていたのですが、
昇→rise 待→wait 並び変えて「wisteria」→藤
…随分と遠回りなアナグラムでしたね!

また、堂シリーズ第四作目にして、善知鳥神を神格化しすぎるがあまり、善知鳥神の行動が物理法則を超えつつある気がします。
例えば登場する際に風が急に凪いだり(P57)、孤島から急に姿を消したり(P246)…
推理小説において風が凪いだのならば、そこに現実的な理由があるはずです。(宿泊所が回転した、ある一定の時間帯は風が止まる等)
そういった意味で、本作はいわゆる本格物とは言えない仕上がりになっていると思います。

最後のどんでん返しが堂シリーズの魅力でもあるのですが、どんでん返しするためにはまずは一つの物語をスマートに終わらせる必要があります。
十和田先生による謎解き編が不完全燃焼で終わった後、百合子さんによる謎解きがありましたが、リモコンでの操作が可能であれば全員に犯行が可能だ、というある意味でどんでん返しが起こった作品でした。



いわゆる本格推理小説がお好きな方へのオススメは、「第一作:眼球堂の殺人」です。興味がある方はぜひご覧ください。

堂シリーズ第五作目:教会堂の殺人~Game Theory~の感想はこちらです。