かなり疑問が残る…!! 教会堂の殺人~Game Theory~【感想と考察】

感想
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2015年7月に講談社ノベルスから発行された、周木律(しゅうきりつ)さんの堂シリーズ第五作目「教会堂の殺人~Game Theory~」の感想です。

堂シリーズもついに五作目。第四作:伽藍堂の殺人は個人的にはあまり満足のいく内容でなかったため、本作で挽回してもらいたいと思っています!
シリーズを通しての様々な謎も気になりますので、今作もある程度期待して読み始めてみました。


※総評(ネタバレ前)以後、ネタバレがあります!!

※今後出てくる作品のページ数は「講談社ノベルス」のページ数です。

あらすじ

狂気の建築家が建てた、訪れた者を死に誘う館ーー教会堂。そこにたどり着いた人々は次々に消息を断ち、あるものは水死し、ある者は火に焼かれ、ある者は窒息した状態で発見される。
警察庁キャリアの宮司司は、失踪した部下の足取りを追い、教会堂へと足を向けた。待ち受けていたのは、均衡に支配された迷宮と、『真理』を求める死のゲーム…!
天才数学者が出題した極限の問い(ジレンマ)に、解は存在するのか?

感想

大いに疑問が残る本でした。

今回も密室!館!です。
ですが、本作は「不可能犯罪」ではありません。

本作の館は、第二作で登場した双孔堂があるX県の山奥にあり、高さ4mのコンクリートでぐるっと覆われた横幅250m、縦幅200mの長方形に近い建物です(大きさの描写はないですが、司警視正の証言やP54の挿絵からの推察)。
入口にある30㎝ほどの十字架。窓がなく、形が不均衡なたくさんの部屋。建物の中にある聖堂。その聖堂にある3m程の巨大な十字架。そして人々を次々と飲み込む謎の部屋…
魅力的な数々の舞台装置が描かれます。

が、魅力はそこまでです。
謎は登場するのですが、それは読者に向けられたものでなく、登場人物に向けられたものです。
本作のメイントリックである死のゲームそのものは、ある程度納得がいく部分はあるのですが、死のゲームが行われる謎の部屋への誘い方が非常に雑です。
堂シリーズを読み続けていた私とすると、「この登場人物がこんなことするの!?何か特殊な事情が!?」と思って読み進めましたが、特にオチはなく。
作者が変わったのか?と思うほど、テイストの違う堂シリーズでした。

本作は「推理小説」と思って読むとがっかりしますので、「堂シリーズの続きの本」と思って読むことをお勧めします。

また、本作は教会堂から読み始めても話が全く理解できません。
第一作:眼球堂の殺人第二作:双孔堂の殺人第三作:五覚堂の殺人第四作:伽藍堂の殺人を読む必要がありますが…
正直、予習してまで挑む魅力がこの本にあるのか…と思います。
第一作:眼球堂の殺人は非常にオススメですので、ぜひ読んでみてください。

総評(ネタバレ前)

読んでよかった度:
また読みたい度:☆
作者に直接、何があったか聞いてみたい度:☆☆☆☆☆

※以下ネタバレがあります!!

総評(ネタバレ後)

トリックそのものは面白かったです。
自然現象を利用し様々な殺害方法を演出することや、部屋自体の仕掛けはなるほどと思いました。
強いて言えば、蒸気の場合にうまく排水溝から流れ出すかという点が心配ですが、そこは管理人である十和田先生が流していた、ということでしょうか…(扉は機械の力+リモコン操作で開けることが出来ると思います)

面白い点もあったのですが、残念な点も多かったです。
堂シリーズでおなじみのアナグラムがなかったのことも残念でしたが、それ以上に密室が残念です。
教会堂の地下のドアは気圧により密室状態になっています。
しかし、教会堂内部のドアは一方向から開けづらい描写はありますが、地下から聖堂まで神と百合子ちゃんが脱出できていることから、ドアは開けづらいだけで開かない訳ではないことが分かります。
また、宮司警視正が動いたルートをたどれば、屋外に出ることも可能です(P121)。P54の教会堂の航空写真から、一度屋外に出てしまえば教会堂をぐるっと半周して麓に戻ることが出来ます。
つまりこれは、地下室まで行くと脱出は困難ですが、地下室に行く前ならいつでもリタイア可能な死のゲームということです。
聞いたことありませんね、いつでもリタイア可能な死のゲーム…

そして、スピリチュアル要素も残念です。
何の危機感も持たずに地下室の鉄扉を開き、密室に飲み込まれた百合子ちゃんは、無事にハッチを開けずに脱出することが出来ました。
その原因は「今はだめだ、ハッチを開けてはならぬ」という宮司警視正によるテレパシー的な呼びかけです…(P192)
もちろん、百合子ちゃんの心の声がそう言っているだけで、実際に聞こえた訳ではないのですが、扉をバンバン開けていた百合子ちゃんがハッチだけはためらうことに違和感を感じます。もう少し、合理的な理由を描いて欲しかったです。
そして、宮司警視正が百合子ちゃんを心配するなら「鉄扉を開ける前」に呼びかけて欲しかったですね。

そして、本作最大の残念な点は、死のゲームが行われる部屋に登場人物を呼び寄せる際の合理的な理由のなさです!!
行かなければならない理由があれば納得します。
それは「真理」であったり、大切な人の安全だったり、功名心からの焦りだったりと何かしら描きようがあったと思います。
本作は「理由が描きやすい登場人物の心理描写は描き、描きにくい登場人物は心理描写を書いていない」点が目につき、とても残念です。
(そして、謎に関係がない百合子ちゃんの内面描写のシーンがやたら多く、それが文章のかさ増しに使われていることが分かり、残念さに拍車をかけます…)

一人目の被害者は、真理に憧れる数学者でしたし、見知った十和田先生もいることですから、言われるがままに部屋に辿り着く可能性はあると思います。
しかし、二人目の被害者であるジャーナリストは「きな臭さ」を感じています(P12)。
そんな人間が謎の井戸を下り、怪しげな地下室の鉄扉を開けるでしょうか?
後の人物たちも同様です。一番酷いのは神ですね。こんな罠にひっかかるヤツは、神を名乗る資格はありません。

部屋に登場人物が飲み込まれない限り教会堂が「回らない」ため、多少のご都合主義は仕方ないと思うのですが、本作はご都合主義が過ぎます。
教会堂には人の判断力を鈍らせるガスでも出ているんでしょうか?
(また、本作は回ることが出来ましたが、最後の小部屋にいる人物が疲れて寝ているときにもう一人が大ハッチを開けると回らなくなりますね…)

さらに神については残念な行動が目につきます。
聖堂には十字架がありキリスト像がない→プロテスタント系の教会→プロテスタントでは懺悔を認めない→懺悔をする場所に『真理』が隠されている!
というのが神の推理ですが、死のゲームが行われる部屋に辿り着く前に必要なピースは全て神に提示されています。しかも「真理は祀られている」という十和田先生のヒントつきです(P126)。
今までの神であれば、たちどころに謎を解き、関孝和の算額書を手に入れ、館を脱出していたはずです。

自分より数学的能力が低いであろう十和田先生に対して神が執着を感じているのは、恋的なものだと思っていましたが、本作の神の知性が感じられない行動を目の当りにして「十和田先生が全ての堂シリーズのトリックを考えていた」と疑惑が生まれました。
眼球堂は作中作扱いで可能ですし、双孔堂・伽藍堂は「シンプルに十和田先生が犯人」で解決です。
五覚堂は説明が難しいですが、あれは「神の犯罪立案能力のプレゼン」という理由ならば…何とかならないでしょうか?
十和田先生を自分の眷属に欲しがる理由は、十和田先生が持つ犯罪立案能力の高さと真理のためなら殺人さえも厭わない人格破綻さっぷりだったということですね…

十和田先生の人間らしさを挙げるとすると、宮司警視正に対して最後まで懺悔を勧めています(P116)。
戦友(?)である宮司警視正を巻き込みたくはなかった、ということでしょうか。

本作は、個人的には非常に残念な作品でした。
第六作目である鏡面堂の冒頭が「…という教会堂の夢を見ていた」という一文で始まることを期待しています…



いわゆる本格推理小説がお好きな方へのオススメは、「第一作:眼球堂の殺人」です。興味がある方はぜひご覧ください。

堂シリーズ第六作目:鏡面堂の殺人~Theory of Relativity~の感想はこちらです。