堂シリーズ真犯人がついに明らかに… 大聖堂の殺人~The Books~【感想と考察】

感想
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2019年2月に講談社文庫から発行された、周木律(しゅうきりつ)さんの第七作目であり、堂シリーズ最終章「大聖堂の殺人~The Books~」の感想です。

堂シリーズもついに最終章!!
第一作:眼球堂の殺人に始まった堂シリーズも本作で終わりを迎えます。
第一作のような美しさのある本なのか、そして登場人物達にどのような結末を用意しているのか、非常に楽しみにしながら読み始めました。


※総評(ネタバレ前)以後、ネタバレがあります!!

※今後出てくる作品のページ数は「講談社文庫」のページ数です。

あらすじ

すべての事件を操る数学者・藤衛に招かれ、北海道の孤島に聳え立つ大聖堂を訪れた宮司百合子。そこは、宮司家の両親が命を落とした場所だった。
災禍再び、リーマン予想の解を巡り、焼死や凍死など不可解な殺人が発生する。しかし、藤は遠く離れた襟裳岬で講演の最中だった。
大人気「堂」シリーズ、ここに証明終了!

感想

それなりに満足のいく本でした。

まず、本作に関してですが、本が分厚いです!
後書きまで含めた総ページ数は618ページ!第六作:鏡面堂の殺人の分量の約1.3倍あります…!
文庫本でこの厚みですから、ハードカバーであったならばさらに分厚い作品になっていたでしょう。

そして、本作は密室!館!不可能犯罪!です。
今回の舞台はもちろん館のなのですが、館のある場所が特徴的です。
館は個人所有の島(!)内にあります。
島の場所は、襟裳岬の東方約百六十キロメートル。島の周囲は約六キロメートル、面積約四平方キロメートル、最高標高は約四百メートル、クレーターのような島で山の内側は大きく陥没し巨大なカルデラ湖を形成している、というまさに絶海の孤島であり、事件が起こるためにあつらえたような島です。

そんな島のカルデラ湖の中に、今回の舞台となる大聖堂があります(図:P60)。
大聖堂の形はなかなか一言では言い表せませんが、言うなれば、逆さまの黒いチョココロネに、白いチョココロネが寄り添っているようなイメージでしょうか…
ただ、そのチョココロネは高さが約六、七十メートルあります!

ちなみにこの島で二十四年前、リーマン予想に近付いた四人の数学者が命を落としています。
何にせよ、リーマン予想に近付いた数学者は命を落としすぎですね…

大聖堂の中で起こる様々な謎に関しては、ハウダニットの要素が強いです。
というのも、堂シリーズも最終巻ですので、フー、ホワイについてはある程度前作までで説明が終わっているからです。
もちろん、ハウダニットについても一筋縄ではいきません。特に殺害方法に関するハウダニットは非常に魅力的で解きごたえがあります。

本作で堂シリーズ全体の伏線も回収され、(個人的には好みの展開ではなかったですが)堂シリーズ全体としては綺麗な終わりを迎えられたのだと思います。


本作における予備知識としては、第五作:教会堂の殺人第六作:鏡面堂の殺人を読んでおく必要があると思います。
もちろん、物語と謎を100%楽しみたいのであれば、第一作:眼球堂の殺人第二作:双孔堂の殺人第三作:五覚堂の殺人第四作:伽藍堂の殺人についても読んだ方がいいと思います。

第一作:眼球堂の殺人は非常にオススメですので、未読の方はぜひ読んでみてください。

総評(ネタバレ前)

読んでよかった度:☆☆☆
また読みたい度:☆
「眼球堂の殺人」が堂シリーズベスト!度:☆☆☆☆☆

※以下ネタバレがあります!!

総評(ネタバレ後)

各種考察を行っていきたいと思います。

まずは、大聖堂が閉じられていた問題についてです。
大聖堂の音声認識タイプのエレベーターは物語途中から音声に反応しなくなったにも関わらず、実行犯である藤天皇は上下階の行き来を行っていました。
この問題に対して、
藤「エレベーターを自由に動かせたという落ちは、なしだ。そんな解はまったく、エレガントとは言えない」(P465)と言っておきながら、実際に採用しているトリックは
エレベーターの扉は手動なら開いた。エレベーター内には保守点検用の梯子があるはずで、それを使い階の行き来を行った」(P468)というものでした。
うーん…
この解はエレガントですか…??

これまで建築基準法をことごとく無視していた沼四郎が、保守点検用の梯子を設置しているとは思えません。
そして、「90歳を超える老人が、手動で開けるには相応の力がいるエレベーターの鉄扉を開け、はしごを約30メートル登り、人を殺め、はしごを約30メートル降りる」行為をすることはエレガントさに欠けるような気がします…
せめて、百合子ちゃんがエレベーター内部を確認したら梯子があり血が付いていた、とか状況証拠の描写が欲しいです。

そして例えば、藤天皇の講義に言語の話を絡め「その時間はその言語で扉が開く」とかの方がエレガントな気がします。
そしてその言語での「開け」という音の発音と、日本語の何らかの単語の発音が似ており一瞬扉が開きかける、とかの描写を書くとかですかね。
若しくは「いついかなる時も人類の共通言語、エスペラント語で開くに決まっておろう!」と藤天皇に言ってもらうのも面白いかもしれません…

焼死と凍死を自在に操る問題を、大聖堂を巨大な圧力装置とし断熱圧縮と断熱膨張を利用することで成功させたトリックは、奇想天外で面白かったです!
二重扉の強度と、大聖堂の容積(P490の挿絵)で断熱膨張が起こるのかが些か気になりましたが…

特定の人物をどのように殺害現場に招いていたのかについては、指向性マイクのような物を使ったと思っていたのですが、特定のキーワードを使い人物を任意の場所呼び出す方法はなるほどと思いました。

しかし、もう少し味付けが欲しかった気がします。
例えば、
藤毅が和算のキーワードに気付く
→和算を専門にしている大橋さんが行こうとする
→藤毅が藤天皇に認めてもらうために大橋さんを妨害。具体的には大橋さんを殴り気絶させる
→藤毅は焼死
→大橋さんが「誰かに殴られた」と証言することにより加害者をミスリード
→藤天皇が大聖堂に到着。大橋さんが生きていることに対して藤天皇が激昂
→神「藤毅も神の血を継ぐ一族ということを忘れていたようね」「フェルマーの仮説はあなただけのものじゃない」
みたいな感じでどうでしょうか。


そして、本作最大の謎は「藤天皇は、襟裳岬にいながらどうやって遠く離れた大聖堂内の人物を手にかけることができたか」ということです。
それに対する解である「島が動く」というトリックを成立させるための前提条件は「藤天皇が襟裳岬に間違いなくいる」描写があってこそです。

しかしながら、藤天皇が襟裳岬にいることの描写があまりに薄すぎます。

藤天皇が講演を行っている場所で部分日蝕が起きている+大聖堂からも部分日蝕が起きている
=「藤天皇がいる襟裳岬の時間と、百合子ちゃんたちがいる大聖堂との時間が一致していることのこの上ない証左に他ならないのだ」(P188)とありますが…本当にそうでしょうか?
時間が一致していることはそうでしょうが、襟裳岬にいるかどうかは分からず、そして映像が合成である可能性は全く否定出来ていません。

映像が合成でない反証として
「襟裳岬の聴衆は騙せない」(P190)ということが挙げられています。
聴衆が金で雇われていたら?
聴衆がバナッハタルスキ教団の熱心な信者だったら?
そもそも聴衆すら合成されたものだったら?

本作内の時間軸は二〇〇二年です。
合成で有名な映画タイタニックの公開は一九九七年であることを考えると、「大聖堂内の倉庫をブルーバックにし藤天皇が講演。背景は全てCG」ということは技術的に十分可能だと思えます。

例えば、襟裳岬側のカメラを操作している人物を中立的な立場の人物とし、その人物に「藤天皇が襟裳岬で講演を行っている」ことを独白してもらえば良かったと思います。
その役割に最もふさわしいのは、やはり宮司司さんんでしょうね…惜しまれます…

ちなみに、百合子ちゃんが藤天皇に「襟裳岬にいることは間違いないのか」を尋ねた際の解答は
「私は神だ。嘘を吐かない。私の言葉はすべて正しく真理である」(P151)です。
登場人物は信じるでしょうが、読者を信じさせるには無理があると思います…

謎が解き明かされた後は怒涛の展開でした。
十和田先生の超絶握力、藤天皇のあっけない死、百合子ちゃんのネクタイビーム、ドラマチックな大聖堂の最期、謎の神の昏倒、堂シリーズの副題の理由等々、様々な謎が解き明かされました。

個人的には十和田先生・神は好きな登場人物だっただけに、
神「私も藤天皇に脅されていただけなの」
十「分かった。全ての罪は僕がかぶろう。藤天皇と同じ『静かなる神殿』に入ることで…」
司「そうか、十和田…。それがお前の選択ならば、俺が神殿の案内人になろう…」
とかの展開の方が良かったですね。

堂シリーズの最後の締め方にしては少女漫画のようだったので、周木律さんは女性なのか、と思ったラストでした。

堂シリーズの真犯人について…

※あくまでこれは個人的な見解です!

堂シリーズは本作を持って終了しました。
思い返せば堂シリーズには探偵が犯人になるという「回転」も起こっていました。
今回、本作を読み終わり、「堂シリーズ全体の真犯人」とでも言うべき人物の存在に気付いてしまったためそれを書かずにはいられませんでした…!!

推理小説に限っては、あとがきから読む派です。
本作の周木律さんの書くあとがきには、様々な単語がちりばめられていました。

四作目となる『伽藍堂』の辺りで、「あ、これはちょうど『中心点』の話だ。だから話が回転したのだ」と気付いた(P607)
座談会でY氏にけんもほろろに評価されたことを今も僕は忘れてはいない(P608) ※Y氏=編集者
沸々とした感謝の気持ちがある(P609)
当該編集者に解説という名の文章を書かせることにより、いかに文章を書くのが大変かを理解していただき、その上で、そこにダメ出しなり校正なりの容赦ない攻撃が再三にわたり加えられることがいかに辛いことかを思い知らせてやりたいのだ(P610)

…これはどう考えても、編集者Y氏に対する怒りの文章だと思います。
「沸々とした」の後ろにつくのは「感謝」ではなく、通常は「怒り」です。

何故このような怒りに満ちたあとがきを書いたのか疑問に思ったのですが、Y氏の「解説、という名のお礼のお手紙」を読んで納得できました。

せっかく、周木律さんが「Y氏」と留めているにも関わらず、「Y こと 講談社文芸第三出版部 河北荘平」と自分の名前をフルネームで載せる勘違いぶり。
題名の後に「周木律様」と書いておきながら、私信なのか読者への宣伝なのか分からない文章。
「しかもそれを使って×が××るなんて」(P615)と書く文章力のなさ。

一番やってはいけないこととしては、「五覚堂の殺人」の紹介部分です。

脱稿したあとに『魅力的な謎が足りない、まだもうひとつ大きな謎を加えられるはず!』などと無茶なお願いをしたにもかかわらず、そのオーダーに全力で応えてくれました。(P615)

「もうひとつ大きな謎がある」とネタバレしているのです!!!
まだ五覚堂の殺人を未読の読者にとっては、絶対に秘密にしなければいけないことです。
読者は「ああ、この後大きな謎が控えているのだな…」と残念な気持ちで五覚堂の終盤を読むことになります。
(ちなみにここで言う「大きな謎」とは、五覚堂を結んで氷を溶かした五覚堂ビームだと思われます…)

加えて言うならば、他のミステリを読んでいてもあとがきなどによく書かれているので気にはなっていたのですが、ミステリ編集界には筆が遅い新人小説家を「商業小説家としては未熟」と罵るマニュアルでもあるんですかね…?
周木律さんも河北荘平さんにそう言われたような描写があります(P602)(もちろん、売れなければいけないことは重々理解できますが、0を1にすることが出来る作家さんの能力なしには、そもそも本という存在が生まれていないはずです)

本作の後書きを読み確信しました。
堂シリーズの一部から輝きを奪った真犯人は、ミステリに対する理解と敬意に欠けるY氏なのだと…!!

そう思うと
四作目となる『伽藍堂』の辺りで、「あ、これはちょうど『中心点』の話だ。だから話が回転したのだ」と気付いた(P607)
という文章も納得がいきます。
周木律さんは伽藍堂の犯人を十和田先生にするつもりはなかったのではないでしょうか?
五覚堂同様、「何かもう一つ魅力的な謎を!」と無茶振りされ、十和田先生を真犯人に仕立てあげてしまったのでしょう…
そしてヤケになった周木律さんは、教会堂の無茶な設定や宮司司を葬り去る内容、そして(個人的に蛇足と思っている)本作の大聖堂の五心を書くに至ったのではないでしょうか…

個人的には、眼球堂の殺人のような微に入り細を穿つ内容に改編した他の堂シリーズを読んでみたいですね。
全七巻の堂シリーズを読破したので、堂シリーズ全体についてまとめた独断と偏見に基づく堂シリーズランキングを書いてみましたので、こちらもご覧ください。


いわゆる本格推理小説がお好きな方へのオススメは、「第一作:眼球堂の殺人」です。そちらについては以下に紹介していますので、興味がある方はぜひご覧ください。

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